四方の風の神々。恵みの風と災いの風は、血筋から分けられていた。
アネモイとは何の神様か
アネモイはひとことで言えば方角ごとに人格を持つ風です。ローマではウェンティといいます。
父はティタン神族?アストライオス(星の男)、母は暁の女神エオス。星と夜明けのあいだに生まれた子らです。
四方の風に、それぞれ名があります。
ボレアス(北風)、ノトス(南風)、エウロス(東風)、ゼピュロス(西風)。
ただし、ヘシオドス『神統記』が神の子として挙げるのは三柱だけです。 ゼピュロス、ボレアス、ノトス。エウロスの名は出てきません。
さらにヘシオドスは、船を沈め畑を荒らす害をなす風は、怪物テュポーンから生まれたとして区別しています。同じ風でも、恵みと災いは血筋から分けられていました。
ボレアスはアテナイの王女オレイテュイアをさらって妻としました。ペルシア戦争のとき、アテナイ人はこの縁を頼んで祈っています。
ゼピュロスは春と花を運ぶ穏やかな風です。
アテネに残る風の塔には、八方に増えた風が浮き彫りにされています。
アネモイのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ἄνεμοι(複数形)。単数はアネモスで、「風」を意味する普通名詞そのものです。
花のアネモネも、同じ語根から来ています。 「風の花」と解され、風が吹くころに咲くためとも、風で花びらが散るためとも説明されます。
ローマ名はウェンティで、「風々」を意味するラテン語です。個別にも名があり、北はアクィロ、南はアウステル、東はウォルトゥルヌス、西はファウォニウスと呼ばれました。ギリシャの神名がそのまま使われた例が多いなかで、風は珍しく完全に置き換えられています。
個別の名も現代語に残りました。北風ボレアスからは北方を意味する語が作られ、極地の空に現れる光の名にも使われています。西風ゼピュロスからは、そよ風を意味する語が生まれました。
風速を測る器具の名も、この「アネモス」から作られています。
Ἄνεμοι(アネモイ)
古代ギリシャ語の複数形。単数はアネモス(Ἄνεμος)で、「風」を意味する普通名詞。花のアネモネも同じ語根から来ている。
Venti(ウェンティ)
ローマ名。ラテン語で「風々」を意味する。個別にはアクィロ(北)、アウステル(南)、ウォルトゥルヌス(東)、ファウォニウス(西)と呼ばれた。
Βορέας(ボレアス)
北風の名。もっとも人格がはっきりしており、単独で祀られた。北方を意味する語の元になっている。
Ζέφυρος(ゼピュロス)
西風の名。春をもたらす穏やかな風とされる。そよ風を意味する語の元になっている。
アネモイの物語
三柱か四柱か ─ 東風がいない理由
風の神は四方に四柱いる、と説明されることが多くあります。しかし原典はそうなっていません。
ヘシオドス『神統記』が、アストライオスとエオスの子として挙げるのは三柱です。
エオスはアストライオスに、心強きゼピュロス、 速く走るボレアス、そしてノトスを生んだ。
東風エウロスの名がありません。
ホメロスには四つとも出てきます。『オデュッセイア』では、風の四方が同時に吹き荒れる場面があります。
東風と南風がぶつかり、西風と北風が襲いかかった。
つまり、風が四つあるという認識はホメロスにもあったのに、ヘシオドスの系譜には三つしか入っていません。
理由は分かっていません。
東風だけ性格がはっきりしなかったからだとする見方。 三という数が系譜の形として整っていたからだとする見方。
どちらも確かめる手段がありません。エウロスは、ギリシャ神話でもっとも影が薄い風です。物語も、祭祀の記録もほとんど残っていません。
後の時代には、風は八方に増えます。四方では足りなくなったからです。
恵みの風と災いの風 ─ 血筋で分けた
ヘシオドスの記述で、もっとも興味深いのは風を二種類に分けていることです。
三柱の風を挙げたあと、こう続けます。
これらは神々の血筋であり、人にとって大きな恵みである。 しかし、他の風はむなしく海の上を吹き荒れる。
その「他の風」がどこから来たかも書かれています。
テュポエウスから生まれた。
テュポーン、つまり神話最大の怪物です。ゼウスと戦い、エトナ山の下に封じられたあの怪物から、害をなす風が生まれたとされました。
船に襲いかかり、船乗りを滅ぼす。 大地に降りては、人の美しい仕事を台無しにする。
同じ「風」でありながら、恵みをもたらすものと災いをもたらすものが、血筋から分けられています。
この分け方には、古代の人の実感がよく出ています。順風は船を進め、麦を実らせます。暴風は船を沈め、畑を倒します。同じ現象とは思えなかったわけです。
定期的に吹く季節風には名前と系譜が与えられ、突発的な嵐は怪物の子とされました。予測できるかどうかが、神と怪物を分ける線だったとも読めます。
ボレアスとアテナイ ─ 婿として祈られた神
四つの風のうち、もっとも人格がはっきりしているのが北風ボレアスです。
この神は、アテナイの王エレクテウスの娘オレイテュイアをさらいました。イリソス川のほとりで遊んでいるところを、雲に包んで連れ去ったとされます。
住まいはトラキアの北。生まれた子は、翼を持つ兄弟ゼテスとカライスで、後にアルゴ船の遠征に加わります。
この縁が、歴史のなかで使われました。
紀元前480年、ペルシアの大艦隊がギリシャへ迫ります。ヘロドトスによれば、神託を受けたアテナイ人は、
婿である神に助けを求めよ。
と告げられました。ボレアスは、アテナイの王女の夫、つまり婿にあたります。 人々は祈りました。
そして、
嵐が三日続き、ペルシアの船が多数失われた。
アテナイ人は礼として、イリソス川のほとりにボレアスの祭壇を建てたと伝えられます。
注意したいのは、ヘロドトス自身が「本当に風がそのために吹いたのかは分からない」と書いている点です。彼はアテナイ人がそう信じたと記録しただけでした。
婚姻の縁を理由に神へ助けを求める。 古代の信仰の実際が、よく見える例です。
ゼピュロスと花 ─ 西風がもたらすもの
西風ゼピュロスは、四つの風のなかでもっとも穏やかに描かれます。
春に吹き、雪を溶かし、花を咲かせる風とされました。
西風が吹けば、大地は花で覆われる。
ローマの詩人たちは、この風と花の女神フローラを夫婦にしました。ボッティチェリの絵画「春」には、右端から吹き込むこの風と、口から花をこぼす女性が描かれています。「ヴィーナスの誕生」で貝を岸へ吹き寄せているのも、この風です。
ただし、穏やかなだけではありません。嫉妬の話が残っています。
アポロンが美少年ヒュアキントスを愛していたとき、ゼピュロスもこの少年に思いを寄せていました。二人が円盤投げをしていたところ、
風が円盤の軌道を変え、少年の頭に当たった。
少年は死に、流れた血からヒヤシンスの花が咲いたとされます。花を咲かせる風が、花の名の由来になる死を起こしました。
この筋を伝えるのは後代の書物で、より古い形ではアポロンの投げた円盤が偶然当たったとされます。風のせいにしたのは、後の時代の脚色である可能性があります。
そよ風を意味する語は、この神の名から生まれました。
風の塔 ─ 八方に増えた風
アテネのローマ時代のアゴラに、八角形の塔が建っています。
各面の上部に、風の姿が浮き彫りにされています。四方では足りなくなり、八方に増えていました。
北はボレアス、北東はカイキアス、東はアペリオテス、南東はエウロス、 南はノトス、南西はリプス、西はゼピュロス、北西はスキロン。
それぞれ持ち物が違います。北風は貝殻の法螺を吹き、西風は衣に花を抱え、南風は水をこぼす壺を傾けています。風の性質が、そのまま姿になっています。
興味深いのは、東風エウロスがここでは南東に移っていることです。四方から八方へ増えるときに位置が動きました。ヘシオドスの系譜に入れなかった風は、方位の体系のなかでも安定していません。
この塔は、風向計・日時計・水時計を兼ねた建物だったと考えられています。風の神を祀る神殿ではありません。
もう一つ、混同されやすい存在がいます。アイオロスです。『オデュッセイア』で、風を革袋に詰めてオデュッセウスに渡した人物ですが、
彼は風の神ではなく、風を預かる管理人である。
風そのものであるアネモイとは、役割が違います。
アネモイの家系図と家族
アネモイの性格と人物像
アネモイは、まとまった性格を持ちません。 四柱それぞれが別の人格を与えられているためです。
ボレアスは荒々しく、力ずくで女をさらいます。トラキアの北に住み、翼と蛇の尾を持つ姿で描かれることもあります。四柱のうち、唯一まともに祀られた神です。
ゼピュロスは穏やかで、花と春を運びます。一方で嫉妬から人を死なせる話も残っており、単純に優しいだけではありません。
ノトスは湿った南風で、夏の終わりの嵐と結び付けられます。髭を生やし、水をこぼす壺を持つ姿で表されました。
エウロスには、語れる材料がほとんどありません。ヘシオドスの系譜にも入らず、物語も残っていません。
四柱に共通するのは、目的を持たないことです。誰かを憎んで吹くのでも、助けようとして吹くのでもありません。吹くことそのものが存在です。
だから、この神々への祈りは「来ないでほしい」「向きを変えてほしい」という形を取りました。説得ではなく、方向の交渉です。
古代の船乗りにとって、風は日々の生死を決めるものでした。人格を与えて名前で呼ぶことは、扱えないものを扱えるようにする工夫だったと言えます。
アネモイゆかりの地と遺跡
風の神々を祀った祭壇は、古代に確かに存在しました。ヘロドトスは、アテナイ人がペルシア戦争ののちにイリソス川のほとりへボレアスの祭壇を建てたと記しています。ほかにも、順風を願って風に供物を捧げた記録が各地にあります。
しかし、その祭壇の位置を確かめられる資料が手元にありません。 大きな神殿の形を取ったものも知られていません。
そこで、ここに挙げたのはアテネの風の塔だけです。これは祀るための神殿ではなく、風向計と時計を兼ねた建物です。混同されないよう、はっきり書いておきます。
それでも、この塔には八方の風の名と姿がひとまとめに残っています。四方の風がどう八方に増えたかを、実物で確かめられる場所は、ほかにありません。
祭壇の所在については「確かめられなかった」と書いておきます。
アテネの風の塔(Tower of the Winds)
八方の風が浮き彫りにされた八角形の塔
アテネの風の塔の住所: ギリシャ アテネ ローマ時代のアゴラ
アテネの風の塔の祀られた神: (風の神々の浮き彫りがある。祀るための神殿ではない)
アテネの風の塔に残るもの: 八角形の塔がほぼ完全な形で現存
アテネのローマ時代のアゴラに立つ八角形の塔です。各面の上部に、八方の風の姿が浮き彫りにされています。
北風は貝殻の法螺を吹き、西風は衣に花を抱え、南風は水をこぼす壺を傾けています。風の性質が、そのまま姿になっています。
風向計・日時計・水時計を兼ねた建物だったと考えられており、風の神を祀るための神殿ではありません。 それでも、四方から八方へ増えた風の名と姿がひとまとめに残る、ほかにない遺構です。
建物としてほぼ完全な形で残っており、内部にも入れます。
所在は古代地名事典プレイアデス(Tower of the Winds/Horologion of Andronikos)で確認した。
アネモイが現代に残した痕跡
アネモイの名は、気象の用語と花の名として現代に残りました。
風速計を指す語: 「風」を意味するギリシャ語アネモスから作られた器具の名。気象観測の基本的な道具として使われている。
アネモネ: 「風の花」と解される花の名。風が吹くころに咲くためとも、風で花びらが散るためとも説明される。
そよ風を意味する語: 西風ゼピュロスの名から生まれた。穏やかで心地よい風を指し、詩や商品名にも多く使われる。
北方を意味する語: 北風ボレアスの名から作られた。北方の森林地帯を指す語や、極地の空に現れる光の名にも使われている。
アテネの風の塔: 八角形の塔に、八方の風が浮き彫りにされている。風向計と時計を兼ねた建物で、ほぼ完全な形で現存する。
ボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」: いずれの絵にも西風ゼピュロスが吹き込む姿が描かれている。花を運び、貝を岸へ吹き寄せる役として画面に置かれている。
アネモイが司るもの
航海安全
順風は船を進め、逆風は沈める。船乗りにとって、風の神は日々の生死に直結する相手であった。
風害除け
畑を倒し、実りを台無しにする風を避けたいという願い。ヘシオドスは、害をなす風を怪物テュポーンの子として区別した。
風除け
アテナイ人はペルシアの艦隊が迫ったとき、婿にあたる北風ボレアスに祈り、礼として祭壇を建てたと伝えられる。
風鎮め
嵐を静めることを願う形の祈り。風の神への祈りは、説得ではなく向きを変えてもらう交渉の形を取った。
アネモイが登場するゲーム・アニメ
創作では、四方の風がそろっているものとして扱われるのがふつうです。 原典の系譜では三柱しかいないという事実は、ほとんど触れられません。
よく使われるのはボレアスとゼピュロスです。荒々しい北風と穏やかな西風という対比が分かりやすいためで、南風ノトスと東風エウロスの出番は多くありません。
また、害をなす風は怪物テュポーンの子であるという区別も、ほとんど採られません。恵みと災いを血筋で分けるという発想は、現代の物語には馴染みにくいためと考えられます。
アネモイが登場するゲーム
各種作品の風属性
四方の風に名前と性格を与える設定は、この神々が出発点になっています。
アネモイが登場するアニメ・漫画・映像
西洋絵画の翻案作品
ボッティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」を題材にする場合、吹き込む西風が必ず画面に入ります。
各種の神話解説書
四方の風として紹介されますが、ヘシオドスが三柱しか挙げていない点は省かれがちです。
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アネモイについてよくある質問
アネモイとは何ですか。
四方から吹く風の神々をまとめて指す呼び名です。北風ボレアス、南風ノトス、東風エウロス、西風ゼピュロスからなります。ティタン神族アストライオスと暁の女神エオスの子とされます。
アネモイのローマ名は何ですか。
ウェンティ(Venti)です。ラテン語で「風々」を意味します。個別にも名があり、北はアクィロ、南はアウステル、東はウォルトゥルヌス、西はファウォニウスと呼ばれました。ギリシャの神名がそのまま使われた例が多いなかで、風は珍しく完全に置き換えられています。
風の神は何柱いるのですか。
四方の四柱とされることが多いのですが、ヘシオドス『神統記』が神の子として挙げるのはゼピュロス、ボレアス、ノトスの三柱だけです。東風エウロスの名は出てきません。後の時代には八方に増え、アテネの風の塔には八つの風が浮き彫りにされています。
嵐の風も神なのですか。
別扱いです。ヘシオドスは、船を沈め畑を荒らす風は怪物テュポーンから生まれたとして、神の子である三柱の風と区別しました。同じ風でも、恵みをもたらすものと災いをもたらすものは血筋から分けられています。
ボレアスはなぜアテナイで祀られたのですか。
アテナイの王女オレイテュイアをさらって妻としたため、婿にあたるとされたからです。ペルシアの大艦隊が迫ったとき、神託に従ってこの神へ祈ったところ嵐が起き、敵の船が多数失われたと伝えられます。礼としてイリソス川のほとりに祭壇が建てられました。
アイオロスとアネモイは同じですか。
違います。アイオロスは『オデュッセイア』で風を革袋に詰めてオデュッセウスに渡した人物で、風を預かる管理人にあたります。アネモイは風そのものである神々です。役割が違います。
アネモネの名前は風の神と関係がありますか。
あります。どちらも「風」を意味するギリシャ語アネモスから来ています。アネモネは「風の花」と解され、風が吹くころに咲くためとも、風で花びらが散るためとも説明されます。
アネモイと併せて覚えたい言葉・用語
ティタン神族(ティタンしんぞく)
ウラノスとガイアの子である十二柱の神々。クロノスを王とし、ゼウスとの十年戦争に敗れてタルタロスへ落とされた。「タイタン」とも表記する。