正義の乙女。人の世を見限り、最後に地上を去っておとめ座になった。
アストライアとは何の神様か
アストライアはひとことで言えば去っていった神です。名は「星の乙女」を意味します。
ゼウスと掟の女神テミスの娘ディケー(正義)と同じ神とされることが多く、ローマでは正義の女神ユスティティアと重ねられました。
この女神の物語は、ほとんど一つの場面に集約されます。
オウィディウス『変身物語』は、世界が黄金・銀・青銅・鉄の四つの時代を下っていくさまを描きました。そして最後の鉄の時代に、
敬虔は打ち倒され、神々は血に濡れた大地を捨てた。 処女神アストライアが、最後に地を去った。
と記します。神々のうち、人の世に最後まで残っていたのが正義の女神でした。
裏返せば、この女神が去った時点でその世は終わっている、という書き方です。
天に昇っておとめ座になりました。隣のてんびん座は、手にしていた秤とされます。
目隠しをして秤と剣を持つ「正義の女神」の像は、この女神とユスティティアの姿が近代に整えられたものです。
アストライアのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Ἀστραία。日本語では「アストライア」で定着していますが、「アストレア」と書かれることもあります。
名は「星の」を意味する語から作られています。星座になった女神にふさわしい名ですが、名前が先か、星座が先かは分かっていません。 おとめ座に結び付けられたあとで、この名が与えられた可能性もあります。
ローマでも綴りが変わるだけで、別の名には置き換わりませんでした。ただしローマには正義を神格化した女神ユスティティアがおり、この二柱は早くから重ねられています。
正義の女神という言い方で日本語に入っているのは、ほぼユスティティアの系統です。裁判所や法律事務所に置かれる、秤と剣を持つ像がそれにあたります。
もう一つ、ディケーという名も同じ女神を指します。こちらはギリシャ語で「正義」そのものを意味する語です。
Ἀστραία(アストライア)
古代ギリシャ語の表記。「星の」を意味する語から作られた名で、「星の乙女」と解される。
Astraea(アストラエア)
ローマでの綴り。名は置き換えられず、そのまま使われた。ラテン語では「アストレア」に近い読みになる。
Iustitia(ユスティティア)
ローマで正義を神格化した女神。アストライアと重ねられ、近代の「正義の女神」像の元になった。
Δίκη(ディケー)
ゼウスとテミスの娘で、正義を意味する女神。アストライアと同じ神とされることが多い。
アストライアの物語
- 四つの時代 ─ 最後まで残っていた神
- ディケーと同じ神か ─ 名前が二つある理由
- おとめ座になる ─ 秤と麦の穂
- 「アストライアの再来」 ─ 黄金時代が戻るという言い方
- なぜ神殿がないのか ─ 詩のなかで生まれた神
四つの時代 ─ 最後まで残っていた神
オウィディウス『変身物語』第1巻は、人間の世界が段階的に悪くなっていくさまを描きます。
黄金の時代。 法も罰もなく、人は自ら正しく生きました。畑を耕さなくても大地が実り、争いも国境もありません。
銀の時代。 季節が分かれ、はじめて家が要るようになりました。人は種を蒔かねばならなくなります。
青銅の時代。 気性が荒くなり、武器が使われるようになりました。ただし、まだ罪深くはありません。
鉄の時代。 ここで一気に崩れます。
恥も、真実も、信義も逃げ去った。 かわりに、詐欺と謀略と暴力と、そして所有への渇きが来た。 客は主人に、婿は舅に、兄弟は兄弟に警戒するようになった。
そして、
敬虔は打ち倒され、処女神アストライアが、血に濡れた大地から最後に去った。
「最後に」という一語が、この女神の位置を決めています。 ほかの神々はすでに去っていました。正義だけが、まだ人の世にとどまっていたのです。
この構成は、正義が失われることを、世界の終わりの合図として使うものです。以後、ヨーロッパの文学はこの型を繰り返し使いました。
ディケーと同じ神か ─ 名前が二つある理由
アストライアには、もう一つの名があります。ディケーです。
ディケーはゼウスと掟の女神テミスの娘で、姉妹にエウノミア(良き秩序)とエイレネ(平和)がいます。アポロドーロスは、この三姉妹を季節の女神ホーライとして挙げています。
紀元前3世紀の詩人アラトスは、天文詩『パイノメナ』のなかで、この女神の去り方を詳しく書きました。
黄金の時代、ディケーは人間と一緒に暮らしていました。
町の広場や大通りに現れ、人々を正しい道へ呼んだ。
銀の時代になると、人を避けて山にこもり、夕暮れにだけ降りてきて、忠告を残して去るようになります。
青銅の時代、人が武器を作り、牛を殺して食べるようになったとき、
女神はその一族を憎み、天へ飛び去った。 そして、いまも見える場所に住みついた。
三段階で人から離れていく、という書き方です。 オウィディウスの四つの時代と細部は違いますが、筋は同じです。
この二つの名がいつ結び付けられたのかは、はっきりしません。アストライアという名で呼ばれるようになるのは、比較的後の時代です。
おとめ座になる ─ 秤と麦の穂
天に昇ったアストライアは、おとめ座になりました。
この星座には、はっきりした目印があります。スピカと呼ばれる一等星です。名はラテン語で「麦の穂」を意味し、乙女が手にする穂の位置にあたります。
正義の女神が、麦の穂を持っている。
実りと正しさが結び付いているのは、偶然ではありません。正義が保たれていれば実りがある、という考え方は古代から繰り返し語られました。 ヘシオドス『仕事と日』にも、正しい裁きをする町には大地が豊かに実り、曲がった裁きをする町には飢えと疫病が来る、と書かれています。
隣にあるてんびん座も、この女神と結び付けられます。手にしていた秤が、そのまま星座になったとする説明です。
ただし、てんびん座はもともと独立した星座ではありませんでした。さそり座の鋏の部分として数えられていた時期があり、後に切り離されて秤になっています。
おとめ座は、全天で二番目に広い星座です。春の空で、麦の穂を持った乙女が横たわっています。
「アストライアの再来」 ─ 黄金時代が戻るという言い方
この女神には、去った話とは逆向きの用法があります。「戻ってくる」という言い方です。
ローマの詩人ウェルギリウスは『牧歌』第4歌で、新しい時代の到来をこう歌いました。
いま、処女が帰ってくる。 サートゥルヌスの治世が戻ってくる。 新しい世代が、高い天から降りてくる。
この「処女」がアストライアと解されました。正義の女神が帰るなら、黄金時代が戻る。 去った話が、そのまま希望の表現に転用されたのです。
この詩は、後の時代に繰り返し引かれました。
ルネサンス期のイギリスでは、エリザベス一世がしばしばアストライアに擬されています。「正義の処女が戻り、黄金の世が始まった」という賛美の形です。詩や仮面劇にこの名が使われました。
十七世紀のフランスでは、この名を題名にした長大な恋愛小説が書かれ、大変よく読まれています。
去った女神が戻るという構図は、政治的な宣伝にも都合がよいものでした。 新しい支配者を、正義の回帰として語れるからです。
神話の一場面が、千数百年にわたって使われ続けた例といえます。
なぜ神殿がないのか ─ 詩のなかで生まれた神
アストライアには、神殿も祭壇も確認できません。 祭りの記録も、祈りの言葉も伝わっていません。
理由は、この女神の成り立ちにあります。
ヘシオドスもホメロスも、この名を挙げていません。
最初にこの筋を詳しく書いたのは紀元前3世紀の詩人アラトスで、「アストライア」という名で呼ばれるのはさらに後です。つまり、古い信仰から出た神ではなく、詩のなかで形を得た神です。
もとになったディケー(正義)は、擬人化された概念でした。アテネでは正義や平和を神格化した像が置かれることもありましたが、独立した信仰の対象として大きく育ってはいません。
もう一つの理由は、去ってしまったという設定そのものです。
地上にいない神に、地上で祈っても届かない。
信仰の対象としては、これは不利な設定です。
かわりに、この女神は文学と天文のなかで生き続けました。 おとめ座として毎年春に昇り、詩人たちは新しい時代が来るたびに「彼女が戻る」と書きました。
記録が少ないのは、資料が失われたためではありません。はじめから、物語の中の神だったということです。
アストライアの家系図と家族
アストライアの親: ゼウステミスとのあいだの娘ディケーと同じ神とされる
アストライアの性格と人物像
アストライアは、見限る神です。
ギリシャの神々は、人間の不正に怒り、罰を下します。ゼウスは雷を落とし、ネメシスは取り分を奪い、エリニュスは追い回します。この女神だけは、罰しません。黙って出ていきます。
アラトスの描き方が印象的です。はじめは町の広場に立って人々に呼びかけ、次に山へ退いて夕暮れにだけ降り、最後に天へ去りました。段階を踏んで、少しずつ離れていきます。
出ていく前に、この女神は一度だけ強い言葉を残したと書かれます。人が武器を作り、牛を殺して食べるようになった時代のことです。
お前たちの父の世代は、まだましだった。 お前たちは、さらに悪いものを生むだろう。
それだけ言って飛び去りました。
性格を語れる材料はこれくらいです。恋愛の話も、争いの話もありません。正しさが人の世から消えていく過程を、体を持って示すためだけに置かれた存在と言えます。
それでも、この女神が愛され続けたのは、戻ってくるかもしれないという設定があるからでしょう。去った神は、帰ることができます。
アストライアゆかりの地と遺跡
アストライアを祀った神殿も祭壇も、確認できていません。 祭りの記録も、祈りの言葉も伝わっていません。
理由は、この女神の成り立ちにあります。古い信仰から出た神ではなく、詩のなかで形を得た神だからです。 ヘシオドスにもホメロスにも、この名は出てきません。
もう一つ、地上を去ってしまったという設定も効いています。地上にいない神に、地上で祈る形は作りにくいものです。
もとになったディケー(正義)については、アテネなどで擬人像が置かれた例が知られていますが、独立した神殿の形を取るものは確認できません。
ゆかりの地として挙げられるものが無いことを、そのまま書いておきます。この女神の居場所は、地上ではなく春の夜空にあります。
アストライアが現代に残した痕跡
アストライアの名は、星座・法廷の像・文学として現代に残りました。
おとめ座: 全天で二番目に広い星座。一等星スピカは「麦の穂」を意味し、乙女が手にする穂にあたる。春の夜空に見える。
てんびん座: この女神が手にしていた秤とされる。もとはさそり座の鋏の部分として数えられており、後に切り離されて独立した。
正義の女神像: 目隠しをして秤と剣を持つ像。ローマのユスティティアとこの女神が重ねられ、近代に形が整えられた。世界各地の裁判所に置かれている。
「アストライアの再来」という言い回し: 黄金時代が戻ることを指す。ウェルギリウスの詩に由来し、ルネサンス期のイギリスではエリザベス一世を讃える言葉として使われた。
小惑星アストレア: 1845年に発見された小惑星にこの女神の名が付けられている。
アストライアが司るもの
正義
正義そのものを神格化した女神。ローマの正義の女神ユスティティアと重ねられ、近代の裁判所の像につながった。
公正
手にした秤は、偏りなく測ることを表す。てんびん座はこの秤とされる。
真理
恥と真実と信義が逃げ去った時代に、最後まで残っていた神として語られる。
調和
姉妹に良き秩序エウノミア、平和エイレネがいる。三姉妹で、乱れのない世を表した。
アストライアが登場するゲーム・アニメ
創作では、「星の女神」と「正義の女神」という二つの側面が別々に使われます。 おとめ座の由来として扱う場合と、法や裁きの象徴として扱う場合です。
原典で最も重要なのは、人を見限って去ったという一点ですが、これは物語にしにくいためあまり採られません。罰さずに黙って出ていく神は、活躍させにくいのです。
一方、戻ってくるという設定は好まれます。去った正義が帰るという筋は、そのまま物語の結末に使えるためです。
アストライアが登場するゲーム
各種作品の正義を司る役
秤を持つ女性像として、法や裁きを扱う場面に繰り返し現れます。
アストライアが登場するアニメ・漫画・映像
星座を題材にした作品
おとめ座の由来として、必ずこの女神が紹介されます。
法廷を舞台にした作品
目隠しと秤の像が、公正さの象徴として画面に置かれます。
各種の神話解説書
ディケーと同じ神とされることや、四つの時代の話が説明されます。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
アストライアについてよくある質問
アストライアは何の神様ですか。
正義の女神です。ゼウスと掟の女神テミスの娘ディケーと同じ神とされます。人間の世が悪くなっていくなかで、神々のうち最後まで地上に残り、ついに見限って天へ去っておとめ座になったと伝えられます。
アストライアのローマ名は何ですか。
ローマでも同じくアストラエア(Astraea)で、名は置き換えられませんでした。ただしローマには正義を神格化した女神ユスティティアがおり、この二柱は早くから重ねられています。裁判所に置かれる「正義の女神」像は、この系統です。
アストライアとディケーは同じ神ですか。
同じ神とされることが多くあります。ディケーはギリシャ語で「正義」そのものを意味する語で、ゼウスとテミスの娘です。アストライアという名で呼ばれるようになるのは、比較的後の時代です。
アストライアはなぜ地上を去ったのですか。
人間が正しさを失ったためです。オウィディウス『変身物語』は、世界が黄金・銀・青銅・鉄の四つの時代を下っていき、鉄の時代に恥も真実も信義も逃げ去ったと書きます。そのとき、この女神が最後に地を去りました。
アストライアはどの星座になったのですか。
おとめ座です。一等星スピカは「麦の穂」を意味し、乙女が手にする穂にあたります。隣のてんびん座は、この女神が手にしていた秤とされます。
アストライアの神殿はありますか。
確認できていません。祭壇も祭りの記録も伝わっていません。古い信仰から出た神ではなく、詩のなかで形を得た神であること、そして地上を去ってしまったという設定そのものが理由と考えられます。
「アストライアの再来」とはどういう意味ですか。
黄金時代が戻ることを指す言い回しです。ローマの詩人ウェルギリウスが『牧歌』第4歌で、処女が帰り、古い治世が戻ると歌ったことに由来します。ルネサンス期のイギリスでは、エリザベス一世を讃える言葉としても使われました。