本文へ移動

ギリシャ神話

エイレネとは何の神様か|家系図・物語

Εἰρήνη  / エイレネ

大地 ティタン神族

平和の女神。幼子の富を抱く像で、アテネの広場に立った。

エイレネとは何の神様か

エイレネはひとことで言えば戦いが止んでいることです。名がそのまま「平和」を意味します。

季節の三女神ホーライの一柱で、ゼウスと掟の女神テミスの娘。ローマではパークスが対応します。

三姉妹のなかで、この女神だけは実際に祀られました。 紀元前四世紀のアテネで公の祭りが定められ、広場に祭壇が置かれて毎年犠牲が捧げられています。

有名なのは彫刻家ケピソドトスの像です。

平和の女神が、幼子の富プルートスを腕に抱き、 顔を下へ向けている。

戦いが止むと富が育つ、という考えを一つの像にしたものです。原作は失われ、ローマ時代の模作が伝わっています。

喜劇作家アリストパネスは、戦争の続く時代に『平和』という劇を書きました。穴に埋められた女神を、綱で引き上げるという筋立てです。

エイレネのギリシャ名・ローマ名と読み方

古代ギリシャ語では Εἰρήνη。日本語では「エイレネ」「エイレーネー」と書きます。

この語の指す範囲には注意が要ります。ギリシャ語のエイレネは、戦争が無い状態を指します。 心の平安や和やかさではありません。

条約の文言に使われる、実務の言葉でした。「共通の平和」という言い回しは、都市国家どうしが結ぶ協定の名称です。

ローマ名はパークス。こちらも同じで、戦いを収めた状態を指します。皇帝が自分の治世を語るときの看板になりました。

この名は、人名として現代まで残りました。ヨーロッパ各国語に形を変えた同じ名前があり、いずれも「平和」の意味を保っています。

戦いが止むことに、名前を付けて神にした。 当たり前のようですが、ギリシャで平和が神として祀られはじめるのは、長い戦争を経験したあとでした。

Εἰρήνη(エイレネ)

古代ギリシャ語の表記。平和を意味する普通名詞でもある。現代ギリシャ語では女性の名前として使われる。

エイレーネー(エイレーネー)

長音を残した学術的な表記。事典類ではこちらの形も使われる。

Pax(パークス)

ローマで対応させられた女神。皇帝アウグストゥスの時代に祭壇が築かれ、国家の看板として扱われた。

イレーネ(イレーネ)

現代語での読み方。人名としてヨーロッパ各国に広まった形である。

エイレネの物語

  1. 祀られるようになった時期 ─ 戦争のあとに神になる
  2. ケピソドトスの像 ─ 幼子の富を抱く
  3. パークスとして ─ ローマが平和を看板にする
  4. 平和という語 ─ 何が無い状態なのか

祀られるようになった時期 ─ 戦争のあとに神になる

エイレネの名は、ヘシオドス『神統記』にすでに出ています。しかし祀られるようになるのは、ずっと後です。

きっかけは、長く続いた都市国家どうしの戦争でした。アテネとスパルタが争い、周りの町を巻き込み、勝った側もすぐに次の敵を作る。この繰り返しが数十年続きます。

紀元前四世紀の前半、アテネで平和の女神の公の祭りが定められました。広場に祭壇が置かれ、毎年犠牲が捧げられるようになります。

平和が、願う対象として制度化された瞬間です。

この経緯には、考えさせられるところがあります。戦いが続いているあいだ、平和は神ではありませんでした。 名前としては知られていても、祭壇は無かったのです。

喜劇作家アリストパネスは、戦争のさなかに『平和』という劇を書きました。主人公が糞虫に乗って天へ昇ると、女神は穴に埋められています。

戦の神が、平和を穴に投げ込み、 上から石を積み上げてしまった。

ギリシャ中の人々が綱を引き、掘り出す。当時の観客にとって、これは笑い話であると同時に願いでした。

ケピソドトスの像 ─ 幼子の富を抱く

エイレネの姿を決めたのは、彫刻家ケピソドトスの一作です。

平和の女神が立ち、腕に幼子を抱いている。 幼子は片手に豊穣の角を持ち、 女神は顔を下へ向けて、その子を見ている。

抱かれている幼子が、富の神プルートスです。

意味ははっきりしています。戦いが止むと、富が育つ。 平和は目的ではなく、何かが育つための条件として彫られました。

この構図の巧みさは、富がまだ幼いという点にあります。大人ではなく、抱かれる大きさの子です。育ちきっていないから、守る者が要る。

原作は失われました。いま姿が分かるのは、ローマ時代の模作が残っているからです。ドイツの美術館に納められた一体がよく知られています。

この像は、後の時代に何度も引かれました。母と子の構図で抽象概念を表す型は、ここから広がったと言われます。

パウサニアスは、テーバイにも運の女神テュケが幼子プルートスを抱く像があったと記しました。運と富、平和と富。 同じ組み合わせが、二通りに作られたことになります。

パークスとして ─ ローマが平和を看板にする

ローマでエイレネに当たるのがパークスです。役目は同じですが、扱われ方が違います。

ギリシャのエイレネは、戦いに疲れた市民が願う相手でした。ローマのパークスは、支配者が成果として示す看板になります。

皇帝アウグストゥスは、内乱を収めたあと、平和の祭壇を築かせました。長年の争いを終わらせた証として、公に掲げたのです。

私は戦いを収めた。だから祭壇を建てる。

願う神から、示す神へ。 同じ働きの神が、国が変わると立場を変えます。

ローマの貨幣には、この女神が繰り返し打たれました。手には、麦の穂か、オリーブの枝か、豊穣の角。皇帝が代わるたびに新しい貨幣が出て、そのたびに「いまは平和である」と告げます。

この伝統は、後のヨーロッパにも受け継がれました。条約を記念する像や記念碑に、平和の女神が置かれるという形です。

ギリシャの女神が幼子を抱いていたのに対し、ローマ以降の平和像は武器を折る姿で表されることが増えます。何を捨てたかを示す図です。

平和という語 ─ 何が無い状態なのか

エイレネという語の意味の幅は、思ったより狭いものです。

ギリシャ語のエイレネは、戦争が無い状態を指します。 心が穏やかであることや、人と人の仲がよいことは、別の語で表されました。

この点は、日本語の「平和」とずれます。日本語の平和には、争いが無いことに加えて、心安らかであるという含みがあります。ギリシャ語には、その広がりがありません。

もとは条約の言葉でした。都市国家どうしが結ぶ協定の名称に、この語が使われます。期限を切って結ぶものでもありました。三十年の平和、五十年の平和。

戦いを止める約束であって、 永久に争わない約束ではない。

そう考えると、この女神が幼子を抱く像の意味がより鮮明になります。育つには時間が要る。 平和が長く続くことに、富が育つかどうかがかかっています。

もう一つ。三姉妹の並びを思い出すと、エイレネは最後に置かれています。良き掟があり、正しい裁きが行われ、そのうえで平和が保たれる。

平和は出発点ではなく、積み上げた先にあるものとして位置づけられていました。

エイレネの家系図と家族

エイレネの親: テミスホーライの一柱ゼウスホーライの一柱

エイレネのきょうだい: ホーライホーライを構成する三柱の一つエウノミアホーライの三姉妹。良き掟と平和アストライア三姉妹の一柱ディケは、アストライアと同じ神とされる

エイレネの性格と人物像

エイレネには、神話らしい物語がありません。

恋も争いも復讐もなく、単独で動く場面は原典に見当たりませんでした。ホーライの一柱として姉妹とともに現れるか、名前を呼ばれるだけです。

それでも、この女神には表情があります。 ケピソドトスの像です。腕の幼子を見下ろすその顔が、この神について語られる唯一の描写と言ってよいものです。

性格として読み取れるのは、守る側にいるということです。攻める神でも罰する神でもありません。抱えているものを落とさないように立っています。

もう一つ、この女神は弱い神として描かれます。 アリストパネスの劇では、穴に埋められて自力で出られません。ギリシャ中の人が綱を引いてようやく掘り出されます。

平和は、放っておけば消える。 掘り出すには、大勢の手が要る。

喜劇の筋立てですが、当時の実感でもありました。

強い神ではないが、無くなると誰もが困る。 古代の人がこの女神に持っていた感覚は、そこにあったと思われます。祭壇が置かれたのが長い戦争のあとだったことも、同じ事情を示しています。

エイレネゆかりの地と遺跡

エイレネは、実際に祀られた神です。紀元前四世紀のアテネで公の祭りが定められ、広場に祭壇が置かれて毎年犠牲が捧げられました。ケピソドトスの像も、その広場に立っていたと伝えられます。

ただしその祭壇と像の位置を、現在の地図の上で確定できる資料は見つかりませんでした。 この図鑑では、確かめられない住所を書かない方針を取っています。

分かっていることを挙げます。祭りは年に一度、公の費用で行われました。 戦いが収まるたびに、あらためて供物が捧げられた記録があります。

ローマではパークスとして祭壇が築かれ、貨幣にくり返し打たれました。皇帝が内乱を収めた証として掲げたもので、ギリシャの祭壇とは性格が違います。

願う神から、示す神へ。 同じ働きの神が、国が変わると立場を変えた例です。

エイレネが現代に残した痕跡

エイレネの名は、人名平和の図像として現代に残りました。

人名としてのイレーネ: ヨーロッパ各国語に形を変えた同じ名前があり、いずれも「平和」の意味を保っている。現代ギリシャ語でも女性の名前として使われる。

ケピソドトスの像: 幼子の富を抱く平和の女神。原作は失われ、ローマ時代の模作から姿が知られる。母と子の構図で抽象概念を表す型は、この像から広がったと言われる。

ローマの平和の祭壇: 皇帝アウグストゥスが内乱を収めた証として築かせた祭壇。以後、平和は支配者が示す看板になった。

小惑星エイレネ: 小惑星の一つにこの女神の名が付けられている。

平和を表す寓意像: 条約の記念碑や庁舎の飾りに置かれる平和の女神像は、この神とローマのパークスの流れをくむ。武器を折る姿はローマ以降の型である。

エイレネが司るもの

平和

名がそのまま平和を意味する。戦いが止んだ状態を司る。

和解

都市国家どうしが結ぶ協定の名にこの語が使われた。実務の言葉でもある。

仲直り

争いを収めることを願う相手として、公の祭壇が置かれた。

豊かさ

戦いが止むと富が育つ。幼子プルートスを抱く像はその考えを形にしている。

子どもの守護

腕に抱いた幼子を見下ろす姿で表され、育つものを守る神として彫られた。

エイレネが登場するゲーム・アニメ

創作でのエイレネは、人物としてより「像」として現れます。 幼子を抱く姿か、武器を折る姿か。どちらも平和という語の言い換えとして使われます。

台詞のある登場人物になった例は、アリストパネスの喜劇がほぼ唯一です。しかもその劇でさえ、女神は一言も話しません。掘り出されて連れてこられるだけです。守られる側に置かれた神は、話を動かす役に向きません。

エイレネが登場する絵画・彫刻

ケピソドトス「エイレネとプルートス」

紀元前四世紀の作。原作は失われ、ローマ時代の模作が伝わります。ドイツの美術館に納められた一体がよく知られています。

ローマの貨幣

麦の穂やオリーブの枝を持つパークスが、皇帝の代替わりのたびに打たれました。

エイレネが登場する文学・演劇

アリストパネス『平和』

紀元前421年に上演された喜劇です。穴に埋められた女神を、ギリシャ中の人々が綱で引き上げるという筋立てです。

平和を扱う近代の作品

条約や戦後を描く作品で、この女神の像が背景に置かれることがあります。

Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。

エイレネについてよくある質問

エイレネはどんな神ですか。

平和の女神です。季節の三女神ホーライの一柱で、ゼウスと掟の女神テミスの娘にあたります。名がそのまま平和を意味し、ローマではパークスが対応します。

幼子を抱いている像は何を表していますか。

抱かれているのは富の神プルートスです。戦いが止むと富が育つ、という考えを一つの像にしたものです。富がまだ幼いという点に意味があり、育ちきっていないから守る者が要る、という組み立てになっています。

いつから祀られるようになったのですか。

紀元前四世紀の前半、アテネで公の祭りが定められました。都市国家どうしの長い戦争を経たあとのことです。それ以前は、名前としては知られていても祭壇はありませんでした。

ギリシャ語の「平和」は日本語の平和と同じ意味ですか。

少しずれます。ギリシャ語のエイレネは、戦争が無い状態を指します。心の平安や人と人の和やかさは別の語で表されました。もとは都市国家どうしが期限を切って結ぶ協定の言葉です。

エイレネの神殿はどこにありますか。

アテネの広場に祭壇と像が置かれたことは分かっていますが、その位置を現在の地図の上で確定できる資料は見つかりませんでした。ローマではパークスとして祭壇が築かれ、貨幣にも繰り返し打たれています。