出産のレンガの女神。生まれた瞬間に、その子の一生を宣言する。
メスケネトとは何の神様か
メスケネトはひとことで言えば未来を告げる神です。
出産に使うレンガそのものである女神です。
古代エジプトでは、産婦は寝て産みませんでした。
四つのレンガを並べ、その上にしゃがんで産む。
このレンガが神格化されたものが、メスケネトです。道具が、そのまま神になっています。
図像は独特で、
レンガの上に、人の頭が載っている
形で描かれることがあります。
最大の役目は、宣言です。
子が生まれた瞬間に立ち会い、その子の一生を言葉にする。
そしてこの女神は、死のときにも現れます。 死者の書?の「心臓の計量?」の場面に立ち、
この者はこう生まれた
と証言する役目を持ちます。
運命の神シャイと対で語られます。
メスケネトのヒエログリフの表記と読み方
エジプト語では msḫnt。日本語ではメスケネト、メスヘネト、メスケヌトと表記が揺れます。
名のもとになっているのは「生まれる場所」を意味する語です。
産室そのもの、あるいは産むときにしゃがむ台。
場所と道具が、そのまま神の名になっています。
エジプトには、こうした例が他にもあります。
レネネト(育てる者)。シャイ(定められたもの)。マアト(秩序)。
働きや状態が、そのまま神になるという作り方です。動物や天体を器にする神とは、系統が違います。
もうひとつ、この女神は複数形で現れることがあります。
四つのレンガに対応して、四柱に分ける。
一柱なのか四柱なのかは、資料によって揺れます。エジプトの神の数え方は、必ずしも一定ではありません。
msḫnt(メスケネト)
ヒエログリフの転写。「生まれる場所」を意味する語からできている。
msḫnwt(メスケヌト)
複数形。四つのレンガに対応して、四柱に分けて数えられることがある。
mshnt(メスヘネト)
日本語での別表記。メスケネト、メスケヌトとも書かれる。
メスケネトの物語
四つのレンガ ─ 道具が神になる
古代エジプトの出産は、しゃがんで行いました。
日干しレンガを四つ並べ、その上に足を置いて身を支える。
産婦を支える台です。
このレンガが、神になりました。
エジプトには、道具や場所がそのまま神になる例がいくつもあります。
産室のレンガがメスケネト。
秩序という考えがマアト?。
運命という考えがシャイ。
姿を持たないものに、名前と人格が与えられます。
図像も独特です。
レンガの上に、人の頭が載っている。
擬人化の途中の形とも見える描き方です。頭上には、巻いた形の記号を戴くこともあります。この記号が何を写したものかについては、
牛の子宮を模したとする説
がしばしば挙げられます。
実際のレンガも出土しています。装飾を施した出産用のレンガが見つかっており、
神像ではなく、使う道具そのものに絵を描いた
ことが分かります。信仰と実用が、同じ物の上にありました。
生まれた瞬間の宣言 ─ 一生が決まる
この女神の中心的な役目は、言葉です。
子が生まれると、その場でこの女神が、その子の一生を告げる。
三つ子の王が生まれる物語では、生まれた子ごとに、
この者はエジプトを治める王となるだろう
という趣旨の宣言が繰り返されます。
エジプトでは、言葉にすることが、確定することでした。
書かれたものは、ある。名を削れば、消える。
同じ考え方が、ここにも通っています。
運命を扱う神は、他にもいます。
シャイが、定められたものそのもの。
レネネトが、名を与え育てる者。
ハトホルの七柱が、運命を告げる女神たち。
役目が重なりますが、エジプトでは役割の重複が普通です。同じ働きを複数の神が分け持ちます。
メスケネトの特徴は、
生まれるまさにその瞬間に、そこにいる
ことです。時刻が決まっている神といえます。
審判と心臓 ─ 天秤のそばで証言する
驚くのは、この女神が死者の裁きの場にも現れることです。
死者の書の第125章。もっとも有名な場面です。
天秤の一方に死者の心臓、もう一方にマアトの羽根を載せる。
釣り合えば、来世へ進む。傾けば、待っているのはアメミット。
この場に、メスケネトが立ちます。役目は証言です。
この者はこう生まれた。
生まれの立会人が、死の裁きにも立ちます。一生の始まりと終わりに、同じ神がいます。
なぜ生まれが問題になるのか。
エジプトの裁きは、その人が生涯にしたことを問います。死者は四十二の否定告白?を述べ、悪をなさなかったと申し立てます。
しかしそれは、本人の言い分でしかない。
そこで、生まれたときから見ていた神が呼ばれます。
もう一柱、シャイも同じ場に立ちます。
定められた運命と、生まれの事実。
二つがそろって、心臓の計量が行われます。エジプトの裁きは、思ったより手続きが細かいものです。
シンボル ─ レンガと、巻いた形の記号
この女神を見分ける形は、二つあります。
一つめがレンガです。
四角い日干しレンガ。その上に人の頭が載る。
この形は、他の神にはありません。道具の姿を残したまま神になった、珍しい図像です。
二つめが頭上の記号です。
二つに割れて先が巻いた、独特の形。
何を写したものかは確定していませんが、
牛の子宮を模したとする説
がよく挙げられます。出産の女神にふさわしい読みです。
もうひとつ、この女神は
出産用のレンガそのもの
としても残りました。装飾を施したレンガが出土しており、そこには母子や守りの神々が描かれています。
神像ではなく、使う道具に絵を描いた。
家のなかの信仰の形です。神殿の遺物だけを見ていると、この層は見えません。
死者の書の挿絵では、天秤のそばに小さく立っている姿を探すことになります。
メスケネトの家系図と家族
メスケネトの妻・夫: シャイ運命と生まれの証人として対をなす
メスケネトの性格と人物像
メスケネトは、立会人です。
生まれるとき、そこにいる。裁かれるとき、そこにいる。
自分から何かをしません。見て、告げるだけです。
注目すべきは、この神が道具から生まれたことです。
産婦がしゃがむための、四つのレンガ。
動物でも天体でもありません。使う物が、そのまま神になりました。
エジプトの神の作られ方には、いくつかの型があります。動物を器にする型、天体を神にする型、都市の守り神から始まる型。この女神は、
生活の道具が神になる
という型に属します。
そして、この神は時刻が決まっています。
生まれた、まさにその瞬間。
一生に一度しか働かない神です。それでも、死者の裁きの場まで付いていきます。
生まれのことを、いちばんよく知っているのがこの神だからです。
メスケネトを祀った神殿と遺跡
メスケネトの神殿は、ありません。
産室にいる神に、神殿は建てられなかった。
これは軽んじられていたということではありません。家のなかで働く神は、家のなかで祀られました。
そのため、この女神を探す場所は二つです。
大きな神殿の誕生殿。
死者の書のパピルスの挿絵。
前者では王の誕生の立会人として、後者では裁きの証人として描かれます。
同じ神が、まったく違う二つの場面に出てきます。 それがこの神の特徴です。
デンデラ神殿(Temple of Dendera)
誕生の場面が刻まれた神殿
エジプト政府の案内は、この神殿を
エジプトでもっとも保存状態のよい神殿のひとつ
とし、入口の六本のハトホル柱を挙げています。
メスケネトを探すなら、誕生の場面です。
大きな神殿には、しばしば誕生殿と呼ばれる付属の建物が置かれました。
神の子が生まれる場面を、繰り返し描くための建物。
そこには、産室に立つ神々が並べて刻まれます。
ロクロを回すクヌム。命を吹き込むヘケト。宣言するメスケネト。
浮き彫りの保存がよいため、小さな神まで細部が読み取れるのが、この神殿の利点です。
ルクソールから車で行ける。アビドスと合わせた一日の行程が一般的。
エジプト博物館(タハリール)(The Egyptian Museum)
死者の書の挿絵が見られる場所
エジプト博物館(タハリール)の住所: エジプト カイロ
エジプト博物館(タハリール)の祀られた神: メスケネト・シャイ
エジプト博物館(タハリール)に残るもの: パピルス・出産用のレンガ・護符
メスケネトを実物で見るなら、パピルスです。
死者の書の第125章、心臓の計量の場面の挿絵に、
天秤のそばに立つ小さな女神
として描かれます。運命の神シャイと並ぶことが多い位置です。
もうひとつが、出産用のレンガです。装飾を施したものが出土しており、
神像ではなく、使う道具に絵を描いた
形の遺物として貴重です。
カイロのこの館は中東でもっとも古い考古博物館とされます。近年は主要な収蔵品の一部が新しい館へ移されているため、
訪問前に、目当ての品がどちらにあるかを確かめる
必要があります。
カイロ中心部。展示替えが続いているため公式の案内を確認したい。
メスケネトが現代に残した痕跡
メスケネトの姿は、誕生殿の浮き彫りと、死者の書の挿絵に残りました。
出産用のレンガ: 産婦がしゃがんで身を支えるための四つのレンガ。装飾を施したものが出土しており、母子や守りの神々が描かれている。
誕生殿: 大きな神殿に付属して置かれた建物。神の子が生まれる場面を描くためのもので、産室に立つ神々が並べて刻まれる。
心臓の計量の挿絵: 死者の書第125章の場面。天秤のそばに、この女神と運命の神シャイが立ち、死者の生まれについて証言する。
巻いた形の頭飾り: この女神が頭上に戴く記号。牛の子宮を模したとする説がしばしば挙げられる。
メスケネトが司るもの
安産
出産に使う四つのレンガそのものである女神。産婦を支える道具が神格化された。
運命の宣言
子が生まれた瞬間に立ち会い、その子の一生を言葉にする。
裁きの立会
死者の書の心臓の計量の場面に立ち、その人がどう生まれたかを証言する。
子の守り
装飾を施した出産用のレンガが出土しており、母子や守りの神々が描かれている。
メスケネトが登場するゲーム・アニメ
ほとんど扱われません。
死者の書の場面が創作で描かれるとき、
天秤、アヌビス、トート、アメミット
の四つが中心になります。そのかたわらに立つ小さな神々は、まず省かれます。
しかし原典では、
生まれの証人と、運命の神
が同席しています。裁きの手続きが思ったより細かいことは、この神を知ると分かります。
メスケネトが登場するゲーム
メスケネトが登場するアニメ・漫画・映像
古代エジプト展
死者の書の心臓の計量の場面の解説で、天秤のそばの神として触れられます。
エジプトの出産を扱った書籍
出産用のレンガの出土品を紹介する文脈で、この女神の名が引かれます。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
メスケネトについてよくある質問
メスケネトは何の神様ですか。
出産に使うレンガそのものである女神です。古代エジプトでは、産婦は四つのレンガの上にしゃがんで産みました。生まれた瞬間に立ち会い、その子の一生を言葉で宣言します。
なぜレンガが神なのですか。
エジプトには、道具や場所や考え方がそのまま神になる型があります。産室のレンガがメスケネト、秩序という考えがマアト、運命という考えがシャイです。動物や天体を器にする神とは系統が違います。
なぜ死者の裁きの場にいるのですか。
生まれの証人だからです。死者の書の心臓の計量の場面で、この女神は「この者はこう生まれた」と証言します。死者本人の申し立てだけでは足りないため、生まれたときから見ていた神が呼ばれました。
シャイとの違いは何ですか。
シャイは運命そのものである神で、生まれた日に定まった一生を担います。メスケネトは生まれる瞬間に立ち会い、それを宣言する側です。裁きの場では二柱が並んで立ちます。
一柱ですか、四柱ですか。
資料によって揺れます。四つのレンガに対応して四柱に分けて数えられることがあります。エジプトの神の数え方は必ずしも一定ではありません。
この女神はどこで見られますか。
大きな神殿の誕生殿の浮き彫りと、死者の書のパピルスの挿絵です。デンデラ神殿のように保存のよい浮き彫りであれば、産室に立つ神々の細部まで読み取れます。
メスケネトと併せて覚えたい言葉・用語
心臓の計量(しんぞうのけいりょう)
死者の心臓とマアトの羽根を天秤にかける冥界の裁き。アヌビスが天秤を扱い、トートが記録する。釣り合えば来世へ、釣り合わなければアメミットが心臓を食い、存在そのものが消える。死者の書第125章。
死者の書(ししゃのしょ)
正しくは「日のもとに出現するための書」。冥界を通るための呪文集で、パピルスに書いてミイラとともに納めた。名前の欄を空けた既製品が売られており、購入者の名を書き入れて使った。
マアト(mꜣꜥt/真理・秩序)
真理・正義・秩序・調和・均衡をまとめて意味する語であり、同時にそれを体現する女神の名。日本語に一語で訳せない。王の務めは「マアトを保つこと」と定義された。対義語はイスフェト(混沌)。
否定告白(ひていこくはく)
死者が四十二柱の神々の前で、それぞれに罪を犯していないと申し立てる形式。「私は盗んでいない」「私は量りをごまかしていない」など内容が具体的で、信仰ではなく行為を問う点が特徴。