アヌビスの女性形。州の紋章としてだけ残った、記録の少ない女神。
アンプトとは何の神様か
アンプトはひとことで言えば記号として残った神です。
アヌビスの女性形にあたる女神で、名もアヌビスのエジプト語名を女性形にしたものです。
姿はジャッカル、または頭上にジャッカルと羽根を戴く女性。
この神の特徴は、記録の少なさそのものにあります。
神殿がない。まとまった物語がない。祭の記録もほとんどない。
主に現れるのは、州の紋章としてです。
エジプトは行政区に分かれ、それぞれが記号を持っていました。上エジプトの第17区の記号が、
棒の上に載せられたジャッカル
であり、この女神の名で呼ばれました。
アヌビスの妻とされ、娘は清めの水を司る女神とされます。
ミイラ作りと墓の守りを、夫と分け持つ立場にあります。
アンプトのヒエログリフの表記と読み方
エジプト語では jnpwt。日本語ではアンプト、インプト、インプウトと表記が揺れます。
作りは単純です。
アヌビスのエジプト語名インプウに、女性を表す語尾がついたもの。
神の名を女性形にして、別の神を立てるという作り方です。
エジプトには、この型がいくつもあります。
アメンに対してアマウネト。
ヌンに対してナウネト。
いずれも「男性の神の名+女性の語尾」でできています。
日本語の「アヌビス」がギリシャ語形であるのに対し、この女神は
ギリシャ語形が定着していない
ため、エジプト語の音がそのまま使われます。同じ夫婦で、名の入り方が違います。
この女神の名を持つ州の中心地は、ギリシャ人にキュノポリス、「犬の町」と呼ばれました。
jnpwt(インプウト)
ヒエログリフの転写。アヌビスのエジプト語名インプウの女性形。
jnpw(インプウ)
アヌビスのエジプト語名。日本語のアヌビスはギリシャ語形を経由している。
Κυνόπολις(キュノポリス)
「犬の町」。この女神の名を持つ州の中心地のギリシャ語名。
アンプトの物語
州の紋章として ─ 行政のなかに残った神
エジプトは、州に分かれていました。
上エジプトに22、下エジプトに20。
それぞれに記号があり、神殿の壁には、州を擬人化した行列が刻まれます。
各州の記号を頭に載せた人物が、供物を運んでくる。
国じゅうから捧げ物が集まる、という表現です。
上エジプトの第17州の記号が、
棒の上に載せられたジャッカル
でした。この州の名が、アンプトです。神の名が、行政の区分名として使われています。
この女神が現れるのは、主にこの形です。
神殿の壁の、州の行列のなかの一人。
単独の神像でも、物語の登場人物でもありません。
州の中心地は、ギリシャ人にキュノポリス(犬の町)と呼ばれました。イヌ科の神を祀る町であることが、名に表れています。
行政の書類のなかで生き延びた神といえます。神殿の記録より、地図と帳簿に多く名が残りました。
アヌビスと分け持つ ─ 女性形の神という作り方
エジプトには、神の名を女性形にして別の神を立てるという作り方があります。
アメンに対して、アマウネト。
ヌン?に対して、ナウネト。
インプウ(アヌビス)に対して、インプウト(アンプト)。
いずれも、男性の神の名に女性の語尾をつけただけです。
なぜこうするのか。
エジプトの神は、対になることを好みます。
ヘルモポリスの八柱神は、四組の男女の対でできている。
都市の神は、父母子の三柱で組む。
一柱だけでは、体系のなかで座りが悪いのです。
そこで、
配偶者がいない神には、自分の名の女性形を用意する。
という解決がとられました。
この作り方の神は、性格を持ちません。
独自の物語がない。独自の役目もほとんどない。
夫の働きを、そのまま分け持ちます。アンプトの場合は、
ミイラ作りと、墓の守り。
です。体系を埋めるために立てられた神という言い方が、もっとも正確でしょう。
なぜ記録が少ないのか ─ 三つの理由
アンプトについて残っているものは、きわめて少ないのです。
理由は三つ考えられます。
第一に、女性形として作られた神だからです。
もとから独自の物語を持って生まれた神ではない。
体系の空白を埋めるために立てられました。語るべき筋書きが、最初からありません。
第二に、夫が強すぎたからです。
アヌビスは、エジプトでもっとも有名な神の一柱。
ミイラ作り、心臓の計量?、墓の守り。役目のすべてを夫が担っています。妻に残る部分がありません。
第三に、神殿がなかったからです。
町があれば神殿が建ち、神官がつき、祭が行われ、記録が積み上がる。
この女神には、その循環がありませんでした。州の名にはなりましたが、独立した信仰の中心地を持ちません。
それでも、名前は残りました。
神殿の壁の州の行列のなかに、この女神の記号が並んでいます。
記録が少ないことは、存在しなかったことを意味しません。どういう作られ方の神なのかが、記録の少なさから読み取れます。
審判と心臓 ─ 夫の隣にいる立場
死者の書?の第125章、心臓の計量の場面です。
天秤の一方に死者の心臓、もう一方にマアトの羽根。
釣り合えば来世へ。傾けば、アメミットが心臓を食う。
この場面で天秤を扱うのが、アヌビスです。
錘を確かめ、傾きを読む。
ミイラを作るのも、この神の役目です。
アンプトは、この一連の働きを分け持つ立場にあります。
ミイラ作りと、墓の守り。
ただし、裁きの場面の挿絵に、この女神がはっきり描かれる例は多くありません。
もうひとつ、伝えられているのが娘です。
清めの水を司る女神。
ミイラを作るとき、遺体は何度も水と溶液で清められました。その水を担う神です。
父が作り、母が守り、娘が清める。
葬送の作業が、家族で分担されています。
エジプトの神の家系図は、血のつながりではなく、仕事の分担表として読むほうが理解しやすいことがあります。この一家は、その典型です。
アンプトの家系図と家族
アンプトの性格と人物像
アンプトは、埋めるために置かれた神です。
夫の名を女性形にしただけの名前。夫の働きを分け持つ役目。
独自の物語がありません。
注目すべきは、それでも消えなかったことです。
州の名として、神殿の壁の行列のなかに残った。
信仰の熱ではなく、行政の記録によって残りました。エジプトの神には、この残り方をした例がいくつもあります。
そして、この神の記録の少なさ自体が内容になります。
なぜ、これほど資料がないのか。
答えは、この神の作られ方にあります。体系を整えるために立てられた神は、語るべき筋書きを最初から持ちません。
家族の分担も特徴的です。
父がミイラを作り、母が墓を守り、娘が清めの水を担う。
エジプトの神の家系図は、仕事の分担表として読むと分かりやすくなります。 この一家は、その分かりやすい例です。
アンプトを祀った神殿と遺跡
アンプトの神殿は、知られていません。
独立した信仰の中心地を持たなかった。
これがこの女神の資料が少ない最大の理由です。町があれば神殿が建ち、記録が積み上がるという循環に、この神は入りませんでした。
そのかわり、
州の記号として、神殿の壁に刻まれ続けました。
上エジプト第17州の名として、供物を運ぶ行列のなかに並びます。
信仰の熱ではなく、行政の書式によって残った神です。エジプトの神の残り方には、こういう経路もあります。
サッカラ(Saqqara)
イヌ科の神の祭祀が営まれた墓域
エジプト政府の遺跡案内は、この地を
カイロの南西40キロに位置し、メンフィスのもっとも重要な墓域のひとつ
と記しています。
アンプトの神殿ではありません。イヌ科の神の祭祀が、どう営まれたかを見る場所として挙げます。
この墓域では、聖なる動物を葬る施設が営まれました。
死んだ動物をミイラにし、地下の回廊に納める。
聖牛アピスを葬ったセラペウムが、その代表です。同じ仕組みで、イヌ科の動物を葬る区画も知られています。
夫のアヌビスは、この墓域と強く結びつく神です。
妻を訪ねるなら、夫の場所へ行くしかない。
というのが、この女神の現状です。
カイロから日帰り可能。公開される区画は時期により変わる。
エジプト博物館(タハリール)(The Egyptian Museum)
州の記号と小像が見られる場所
アンプトを実物で探すなら、州の行列の浮き彫りです。
各州の記号を頭に載せた人物が、供物を運んでくる場面。
そのなかに、棒の上に載せられたジャッカルの記号があります。上エジプト第17州、この女神の名を持つ州です。
また、ジャッカルの頭を持つ女性の小像も、まれに収蔵されています。数は多くありません。
カイロのこの館は中東でもっとも古い考古博物館とされ、ファラオ時代の収蔵品の規模は世界最大級です。近年は主要な収蔵品の一部が新しい館へ移されているため、
訪問前に、目当ての品がどちらにあるかを確かめる
必要があります。
カイロ中心部。展示替えが続いているため公式の案内を確認したい。
アンプトが現代に残した痕跡
アンプトの名は、州の記号と、夫の名の陰に残りました。
上エジプト第17州: この女神の名を持つ行政区。記号は棒の上に載せられたジャッカルで、神殿の壁の州の行列に刻まれる。
キュノポリス: 「犬の町」を意味するギリシャ語名。この州の中心地の呼び名で、イヌ科の神を祀る町であることが名に表れている。
女性形の神という作り方: アメンに対するアマウネト、ヌンに対するナウネトと同じ型。体系の空白を埋めるために立てられた。
清めの水の女神: この女神の娘とされる神。ミイラを作るとき遺体を清める水を担う。葬送の作業が家族で分担されている。
アンプトが司るもの
墓の守り
夫アヌビスとともに、墓とミイラを守る役目を分け持つ。
ミイラ作り
遺体を整える一連の作業に関わる。娘は清めの水を司るとされる。
州の守護
上エジプト第17州の名となり、州の記号として神殿の壁に刻まれた。
死者の導き
ジャッカルの姿をとる神として、墓域と冥界の道に関わる。
アンプトが登場するゲーム・アニメ
ほぼ知られていません。
イヌ科の神といえばアヌビスで、妻がいることすら、あまり紹介されません。
しかし、
男性の神の名を女性形にして、対の神を立てる。
という作り方は、エジプトの神の体系を理解するうえで重要です。アマウネトも同じ型です。この一柱を知ると、他の神の作られ方も見えてきます。
アンプトが登場するゲーム
アンプトが登場するアニメ・漫画・映像
古代エジプト展
州の記号の解説のなかで、名が挙がることがあります。
エジプトの行政を扱った書籍
州の一覧のなかで、この女神の名を持つ州として記載されます。
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アンプトについてよくある質問
アンプトは何の神様ですか。
アヌビスの女性形にあたる女神です。ジャッカルの姿、または頭上にジャッカルを戴く女性として描かれ、ミイラ作りと墓の守りを夫と分け持ちます。
なぜ記録が少ないのですか。
三つの理由が考えられます。女性形として体系の空白を埋めるために立てられた神であること、夫アヌビスが役目のすべてを担っていること、そして独立した信仰の中心地を持たなかったことです。
女性形の神とはどういうことですか。
男性の神の名に女性を表す語尾をつけて、対の神を立てる作り方です。アメンに対するアマウネト、ヌンに対するナウネトも同じ型です。エジプトの神は対になることを好むため、配偶者のいない神には自分の名の女性形が用意されました。
どこに名が残っていますか。
上エジプト第17州の名としてです。棒の上に載せられたジャッカルが州の記号で、神殿の壁に刻まれた州の行列のなかに並びます。州の中心地はギリシャ人にキュノポリス(犬の町)と呼ばれました。
アヌビスとの関係は何ですか。
妻とされます。娘は清めの水を司る女神とされ、父がミイラを作り、母が墓を守り、娘が清めるという分担になります。エジプトの神の家系図は、仕事の分担表として読むと理解しやすくなります。
この女神はどこで見られますか。
神殿の壁の州の行列の浮き彫りです。棒の上に載せられたジャッカルの記号を探すことになります。単独の神殿は知られていないため、夫アヌビスの縁の場所を訪ねる形になります。
アンプトと併せて覚えたい言葉・用語
ヌン(Nun/原初の水)
世界が始まる前からある、暗く動かない水。ここから原初の丘が現れて創造が始まり、世界が終わるときはすべてここへ戻る。
心臓の計量(しんぞうのけいりょう)
死者の心臓とマアトの羽根を天秤にかける冥界の裁き。アヌビスが天秤を扱い、トートが記録する。釣り合えば来世へ、釣り合わなければアメミットが心臓を食い、存在そのものが消える。死者の書第125章。
死者の書(ししゃのしょ)
正しくは「日のもとに出現するための書」。冥界を通るための呪文集で、パピルスに書いてミイラとともに納めた。名前の欄を空けた既製品が売られており、購入者の名を書き入れて使った。