カバの姿の出産の女神。もっとも人を殺した動物を、母子の守り手にした。
タウエレトとは何の神様か
タウエレトのヒエログリフの表記と読み方
エジプト語では tꜣ-wrt、「偉大なる女」の意です。日本語ではタウエレト、タウェレトなどと表記されます。
この神は、名前が複数あります。
タウエレト(偉大なる女)
イペト、オペト
レレト(雌豚)
古王国時代から、この三つが並行して使われました。
問題は、
一柱の神の別名なのか、姿の似た別々の女神なのか
がはっきりしていないことです。
姿はほぼ同じで、区別がつきません。ただしレレトには、
北の空の星座の名
という別の顔があります。
研究では、もともと別の地方神だったものが、同じ姿に収束していったとする見方が示されています。エジプトの神は、輪郭がしばしば溶けます。
tꜣ-wrt(タ・ウルト)
ヒエログリフの転写。「偉大なる女」を意味する。
jpt(イペト/オペト)
別名。カルナックのオペト神殿はこの名による。
rrt(レレト(雌豚))
別名。北天の星座の名としても使われた。
タウエレトの物語
三種の危険を、守り手に変える
タウエレトの体は、三種の動物の合成です。
カバの胴。ライオンの手足。ワニの背と尾。
この三種には、共通点があります。
古代エジプトで、実際に人を殺した動物。
カバは川岸で人を踏み殺し、ワニは水辺で襲い、ライオンは砂漠の縁にいました。
同じ三種で作られている存在が、もう一柱います。
アメミット。天秤に負けた心臓を食う怪物。
材料が同じで、役目が正反対です。
片方は貪り食い、片方は守る。
この発想は、ソベクとも重なります。
恐ろしいものを、味方につける。
ただしタウエレトの場合、もう一段ひねりがあります。
雌のカバは、子を守るときにこそ凶暴になる。
実際、カバの母親は子に近づくものを激しく攻撃します。
その凶暴さを、こちらの味方にする。
守るための凶暴さという理解が、この女神の芯にあります。
産室の道具 ─ 杖とレンガと壺
古代の出産は、命がけでした。
そこに置かれた道具に、この女神の姿が刻まれます。
一つめが、呪いの杖です。
カバの牙を削って、三日月形にしたもの。
中王国時代のものが多数出土しており、
出土した杖の七割以上に、この女神が彫られている
とされます。材料そのものがカバであるという点も重要です。
危険な動物の牙を削って、その動物の女神を彫る。
二つめが、出産用のレンガです。
エジプトの出産は、
二個または四個のレンガの上にしゃがむ姿勢
で行われました。このレンガに彩色が施され、母子とこの女神の姿が描かれた例が見つかっています。
三つめが、乳児用の器です。
授乳のための壺に、この女神の形をとったものがある。
乳が出るように、という願いによるものです。
祈る場所ではなく、使う道具に神がいる。
これが、この女神の祀られ方でした。
家にいる神 ─ ベスと組で
タウエレトは、ベスと並べて祀られました。
太鼓を鳴らして踊る小人と、二本足で立つカバ。
どちらも、
出産、子ども、眠り、家。
を守ります。担当が重なっています。
エジプトの宗教には、二つの層がありました。
国家の宗教── 王と神官が神殿で行う。民衆はほぼ立ち入れない。
家庭の宗教── 家で、個人が行う。
この二柱は、後者の代表です。
アメンやプタハに祈るには神殿が要るが、この二柱は家にいる。
王家の谷を掘った職人の村デイル・エル・メディーナからは、
家の壁に描かれた図、ベッドの装飾、護符
が見つかっています。庶民が実際に何を祀っていたかが分かる、数少ない遺跡です。
姿は日用品にも及びました。
化粧壺、枕、匙、家具の脚。
さらに、入れ墨の例もあります。
この女神やベスの図を体に入れたミイラ
が見つかっており、身につけるだけでなく、体に彫ったことが分かります。
空を歩くカバ ─ 北天の星座
この女神には、空での役目もあります。
北の空に、カバの姿の星座がある。
レレトの名で呼ばれるもので、現在のりゅう座のあたりに当たると考えられています。
この星座が重要なのは、位置です。
北の空の星は、沈まない。
地平線の下に消えないため、エジプト人はこれを、
不滅の星
と呼びました。死なないものの象徴です。
図像では、このカバが、
船をつなぐ杭
を抱えている姿で描かれます。杭には縄が結ばれ、
その縄が、北天の星々をつなぎとめている。
とされました。
空が流れ去らないよう、押さえている。
という役目です。
セネンムトの墓やデンデラの天井に描かれた星図に、この姿が残っています。
産室にいる神が、同時に、空をつなぎとめている。
役割の幅が、姿からは想像できないほど広い神です。
カルナックのオペト神殿 ─ 神を産み直す場所
大神殿をほとんど持たないこの女神に、例外が一つあります。
カルナックのオペト神殿。
アメン大神殿の南西、コンス神殿のすぐ西にある小さな神殿です。
建てたのはネクタネボ1世(紀元前380年〜前362年)で、のちにプトレマイオス3世が手を加えました。
ここで語られたのは、変わった筋です。
アメンがオシリスとして死に、オペトによって産み直される。
神殿の内部には、
オシリスの墓とされる部屋
出産のための部屋
が設けられています。
死と再生を、一つの建物のなかで往復させる構造。
コンス神殿との間には扉があり、二つの神殿は行き来できるように作られています。
規模は小さく、見学者もほとんど入りません。
カルナックの奥にある、静かな神殿。
家庭の神として知られるこの女神が、国家の神殿群のなかで神を産む役を負っているという点で、他に例のない場所です。
タウエレトの家系図と家族
タウエレトのきょうだい: アメミット同じ三種の合成で、役目が正反対
タウエレトの性格と人物像
タウエレトは、怖い姿のまま優しい神です。
カバ、ライオン、ワニ。
並べれば、どう見ても怪物の材料です。アメミットとまったく同じ組み合わせでもあります。
それでいて、
妊婦と乳児のそばにいる。
このねじれが、この女神の性格です。
優しくするために、恐ろしい姿をしている。
悪いものを追い払うには、それより恐ろしい必要があるという考え方です。ベスの醜さと、まったく同じ理屈です。
もう一つ、規模の逆転があります。
国家の大神殿はほとんどない。
それでいて、出土する護符の数は最も多い部類。
王が祀った神ではなく、人が持っていた神です。
人が実際に恐れていたものが、ここに出ています。
戦争でも政治でもなく、出産と、乳児の死。
古代の乳幼児死亡率を考えれば、当然でした。
そして、この神は空にもいます。
沈まない星をつなぎとめる、北天のカバ。
産室と星空という、遠く離れた二つの場所に、同じ姿が立っています。
タウエレトを祀った神殿と遺跡
タウエレトに、国家の大神殿はほとんどありません。
この神の場所は、家でした。
産室、寝室、日用品。
例外がカルナックのオペト神殿で、ここだけが国家の神殿群のなかにあります。ただし規模は小さく、見学者もまばらです。
実物を知るには、
デイル・エル・メディーナのような、生活の遺跡
が向いています。
博物館では、
護符、呪いの杖、化粧壺、家具の脚
として姿を見つけられます。数は膨大です。
カルナックのオペト神殿(Temple of Opet, Karnak)
この女神に捧げられた数少ない神殿
カルナックのオペト神殿の住所: エジプト ルクソール県カルナック
カルナックのオペト神殿の祀られた神: オペト(タウエレト)・オシリス
カルナックのオペト神殿に残るもの: 神殿本体・オシリスの墓とされる部屋・出産の部屋
アメン大神殿の南西、コンス神殿のすぐ西にある小さな神殿です。
建てたのはネクタネボ1世(紀元前380年〜前362年)。のちにプトレマイオス3世が手を加えています。
ここで語られたのは、変わった筋でした。
アメンがオシリスとして死に、オペトによって産み直される。
そのため内部には、
オシリスの墓とされる部屋と、出産のための部屋
が設けられています。死と再生が、一つの建物に同居しています。
コンス神殿との間には扉があり、行き来できる作りです。
規模が小さく、カルナックの奥にあるため、見学者はほとんど入りません。
カルナック神殿群のアメン大神殿域内、南西部。世界遺産。
デイル・エル・メディーナ(Deir el-Medina)
庶民がこの女神を祀っていた痕跡が残る職人村
デイル・エル・メディーナの住所: エジプト ルクソール県 デイル・エル・メディーナ
デイル・エル・メディーナの祀られた神: タウエレト・ベス・ハトホル
デイル・エル・メディーナに残るもの: 村の遺構・住居址・墓群
王家の谷を掘った職人たちの村です。
ここが特別なのは、
住民の日常が、そのまま残っている
ことです。
家の一角に産室と考えられる空間があり、
壁の図、ベッドの装飾、護符
から、この女神とベスが祀られていたことが分かります。
神殿の神ではなく、家の神。
そのため、実物を知るには生活の遺跡がいちばん適しています。
住民は読み書きができたため、出勤簿や裁判記録も大量に残りました。史上初のストライキが起きた場所でもあります。
ルクソール西岸。王家の谷から近い。世界遺産。
タウエレトが現代に残した痕跡
タウエレトの姿は、出産の道具と護符として大量に残りました。
呪いの杖(カバの牙): カバの牙を三日月形に削った杖。中王国時代のものが多数出土し、七割以上にこの女神が彫られているとされる。
出産用のレンガ: しゃがんで産むためのレンガ。彩色され、母子とこの女神の姿が描かれた例が見つかっている。
北天の星座レレト: カバの姿の星座。船をつなぐ杭を抱え、沈まない星をつなぎとめるとされた。セネンムトの墓やデンデラの天井の星図に残る。
入れ墨: この女神やベスの図を体に入れたミイラが見つかっている。身につけるだけでなく、体に彫られた。
タウエレトが司るもの
安産・出産の守護
産室の道具に姿が刻まれた。呪いの杖、出産用のレンガ、乳児の器。
母子の守護
妊婦と乳児を守る。ベスと組で祀られた。
家の守護
護符、ベッド、枕、化粧壺、家具の脚に姿が付けられた。
悪いものを退ける
カバ・ライオン・ワニという危険の合成で、より恐ろしいものを追い払う。
不滅(北天の星)
レレトとして北の空の星座になる。沈まない星をつなぎとめる役目を負う。
タウエレトが登場するゲーム・アニメ
扱いは大きくありませんが、原典では
出土数が最も多い部類の神
です。
大神殿を持たないのに、最も広く信じられた。
ベスとまったく同じねじれです。国家の宗教と、家庭の宗教は、別々に動いていました。
タウエレトが登場するゲーム
タウエレトが登場するアニメ・漫画・映像
古代エジプト展
この女神の護符と呪いの杖は、出産と家庭の展示コーナーの定番です。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
タウエレトについてよくある質問
タウエレトは何の神様ですか。
出産と母子を守る女神です。妊婦のようなカバの体に、ライオンの手足とワニの背を持つ姿で描かれます。名は「偉大なる女」を意味します。
なぜカバの姿なのですか。
カバは古代エジプトで実際に人を殺した動物で、危険の象徴でした。とくに雌のカバは子を守るときに凶暴になります。その凶暴さを味方につけた形です。
アメミットと姿が似ているのはなぜですか。
材料が同じだからです。どちらもカバ・ライオン・ワニの合成で、当時実際に人を殺した動物の組み合わせです。役目は正反対で、片方は心臓を食い、片方は母子を守ります。
タウエレトの神殿はどこにありますか。
国家の大神殿はほとんどありません。例外がカルナックのオペト神殿で、ネクタネボ1世が建てました。ただし規模は小さく、この神の場所は基本的に家でした。
イペトやレレトとは何ですか。
いずれもこの女神の別名です。ただし一柱の別名なのか、姿の似た別々の女神なのかは、はっきりしていません。レレトには北天の星座の名という別の顔もあります。
呪いの杖とは何ですか。
カバの牙を三日月形に削った、出産の場で使われた道具です。中王国時代のものが多く出土し、七割以上にこの女神が彫られているとされます。材料そのものがカバである点も重要です。