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エジプト神話

アペデマクとは何の神様か|家系図・物語・祀った神殿

jprmk  / アペデマク

都市の神

クシュ王国の獅子の戦神。エジプトに対応する神がいない、南の神。

アペデマクとは何の神様か

アペデマクはひとことで言えば南から見た神です。

ナイル上流のクシュ王国(メロエ)が祀った、獅子の頭を持つ戦の神です。

この神は、エジプトの神ではありません。

エジプトの神々に、対応する相手がいない。

クシュ固有の神です。にもかかわらず、エジプト式の神殿に、エジプトの神々と並んで刻まれました。

ナガの獅子神殿の浮き彫りには、

三つの頭と四本の腕を持つ姿

で描かれた例があります。エジプトの図像の型から外れた造形です。

祀られた場所は、いずれもスーダンにあります。

ムサワラット・エス・スフラの獅子神殿。ナガの獅子神殿。

これらを含む一帯は、メロエ島の考古遺跡群として世界遺産に登録されています。

クシュはエジプトを征服して王朝を立てたこともある国です。

アペデマクのヒエログリフの表記と読み方

日本語ではアペデマクアペデマークアペデマックと表記されます。

この神の名は、クシュの言葉によるものです。

エジプト語でも、メロエの文字でも書かれた。

クシュ王国は、はじめエジプトの文字を使い、のちに自前の文字を作りました。メロエ文字と呼ばれます。

文字の読み方は分かっているが、言語そのものはまだ十分に解読されていない。

世界の古代文字のなかでも、読めるのに意味が取れないという珍しい状態にあります。

この神の名も、

音は分かるが、語の意味は確定していない。

状態です。

クシュ王国の名は、エジプト語で南方を指すカシュに由来します。

旧約聖書に現れる地名としても知られます。

エジプトの南に、別の王国と別の言葉と別の神がいたという事実が、この名に表れています。

jprmk(アペデマク)

エジプトの文字で書かれた表記のひとつ。日本語ではアペデマク、アペデマークなどと表記される。

Ἀπεδεμάκ(アペデマク)

ギリシャ語形として伝えられる表記。

kꜣš(カシュ)

エジプト語でヌビア南部を指す語。クシュ王国の名の由来。

アペデマクの物語

  1. クシュ王国 ─ エジプトを征服した南の国
  2. 獅子の神殿 ─ エジプト式の壁に、いない神
  3. エジプトに対応がない ─ 借りなかった神
  4. シンボル ─ 獅子と、三つの頭と、蛇の胴

クシュ王国 ─ エジプトを征服した南の国

エジプトの南、いまのスーダンにあたる地域に、クシュ王国がありました。

この国は、長くエジプトの支配下にありました。

金と象牙と兵の産地。エジプトが繰り返し遠征した相手。

ところが、力関係が逆転します。

紀元前8世紀、クシュの王がエジプトへ北上し、全土を治めた。

エジプトの王朝のひとつが、この南の王家によるものです。征服した側が、エジプトの伝統をそのまま引き継ぎました。

彼らは、

ピラミッドを建て、エジプトの神々を祀り、ヒエログリフを使った。

破壊したのではありません。エジプト以上にエジプトらしく振る舞いました。

やがて彼らは南へ退き、メロエを都とします。

そして、独自の道を進み始めました。

自前の文字を作る。自前の神を大きく祀る。

その神が、アペデマクです。

エジプトの型を使いながら、中身は自分たちのものにしていく。 クシュの歴史は、その過程として読むことができます。

獅子の神殿 ─ エジプト式の壁に、いない神

アペデマクの神殿は、スーダンにあります。

代表的なのが、

ムサワラット・エス・スフラの獅子神殿。
ナガの獅子神殿。

いずれも、メロエ島の考古遺跡群として世界遺産に登録されている一帯にあります。この世界遺産は、

メロエの王都と、ナガ、ムサワラット・エス・スフラ

の三つの構成要素からなります。

神殿の形式は、エジプト式です。

塔門があり、壁面に王と神が並ぶ。王が敵を打ち据える場面がある。

エジプトの神殿で繰り返し見る構図です。

ところが、そこに立っている神が違います。

アメンイシスホルスと並んで、エジプトにいない獅子の神がいる。

借りた型のなかに、自分たちの神を置きました。

ナガの浮き彫りには、

三つの頭と四本の腕を持つ姿

で描かれた例があります。エジプトの図像の規則から外れた造形で、しばしば議論の的になります。

型は借りても、中身は借りていません。

エジプトに対応がない ─ 借りなかった神

エジプトの神々は、外の神と重ねられてきました。

ギリシャ人は、トートヘルメスと、ハトホルアフロディーテと重ねた。
エジプト人は、外から来た神を自分の体系に組み込んだ。

この相互の翻訳は、地中海世界で広く行われました。

ところが、アペデマクには相手がいません。

エジプトの獅子の神といえば、セクメトメンヒト。しかしいずれも女神。
アペデマクは男神で、性格も一致しない。

同一視されないまま、独立して祀られました。

これは重要な点です。

クシュは、エジプトから多くを取り入れました。

文字。神殿の形。ピラミッド。アメン信仰。

それでも、戦の神だけは自前でした。

国を守る神を、外から借りなかった。

と読むことができます。

エジプトの神々がクシュで祀られ続けたことと合わせると、

借りるものと、借りないものが、はっきり分かれている。

受け入れ方に、選択がありました。 一方的に染まったのではありません。

シンボル ─ 獅子と、三つの頭と、蛇の胴

この神の姿には、いくつかの型があります。

一つめが、もっとも基本の形です。

獅子の頭を持つ男。エジプト式の衣と冠。

二つめが、蛇の胴を持つ形です。

蓮の花から、蛇の体が伸び、その先に獅子の頭がある。

ナガの神殿の壁に見られる造形です。

三つめが、もっとも知られたものです。

三つの頭と、四本の腕。

エジプトの図像には、複数の頭や腕を持つ神が、ほとんどいません。 側面から一体ずつ描くのが原則です。

この造形について、しばしばインドの神との類似が話題にされます。ただし、

交流を示す確かな証拠は乏しく、
王の複数の側面を一度に示す表現、とする見方もあります。

決着していません。

いずれにせよ、

エジプトの規則から外れた図像が、エジプト式の神殿の壁にある。

という事実が残ります。借りた形式のなかで、自分たちの表現が始まっていました。

アペデマクの家系図と家族

アペデマクのきょうだい: セクメトともに獅子を器とする戦いの神メンヒトともに南方に結びつく獅子の神

アペデマクの性格と人物像

アペデマクは、借りなかった神です。

クシュ王国は、エジプトから多くを取り入れました。

文字、神殿の形、ピラミッド、そしてアメン信仰。

それでも、戦の神だけは自前でした。

国を守る神を、外から借りない。

受け入れ方に、選択があったことを示しています。

注目すべきは、同一視されなかったことです。

ギリシャ人とエジプト人は、互いの神を熱心に重ね合わせました。しかしこの神には、

エジプトに対応する相手がいません。

独立したまま、エジプト式の神殿の壁に立っています。

図像も、規則から外れています。

三つの頭と、四本の腕。蛇の胴。

エジプトの神には、まず見られない形です。

型は借りても、中身は借りていません。 クシュがどういう国だったかが、この神一柱から読み取れます。

そして、この国はエジプトを征服したこともある国でした。

アペデマクを祀った神殿と遺跡

アペデマクの聖地は、すべてスーダンにあります。

エジプト国内には、この神の神殿がありません。

国境の南側だけで祀られた神です。

世界遺産メロエ島の考古遺跡群は、

ナイルとアトバラ川にはさまれた半砂漠の地

に広がり、王都メロエ、ナガ、ムサワラット・エス・スフラの三つからなります。ピラミッド、神殿、王宮、工房の跡が残ります。

近年、この地域は現地の情勢の影響を受けています。国際機関からも、遺跡の保護を求める呼びかけが出されました。

訪ねる前に、最新の状況を確かめる必要があります。

ムサワラット・エス・スフラ(Musawwarat es-Sufra)

アペデマクの獅子神殿がある遺跡

地図で開く

ムサワラット・エス・スフラの住所: スーダン(メロエ島の考古遺跡群)

ムサワラット・エス・スフラの祀られた神: アペデマク

ムサワラット・エス・スフラに残るもの: 大囲壁・獅子神殿・大貯水池

メロエ島の考古遺跡群として世界遺産に登録された一帯にあります。この世界遺産は、

メロエの王都と、ナガ、ムサワラット・エス・スフラ

の三つの構成要素からなり、ナイルとアトバラ川にはさまれた半砂漠の地にあります。

この遺跡の主な構成は、

大囲壁と呼ばれる複合建築、アペデマクの獅子神殿、そして大貯水池

です。いずれも砂岩で造られています。

獅子神殿は、

大囲壁の南東、およそ600メートルの位置

にある一室の建物で、メロエ式の神殿の典型とされます。

囲壁の用途については、巡礼の施設、象を扱う場、学びの場など、いくつもの説が出されています。決着していません。

スーダン。近年は現地情勢の影響を受けており、訪問には最新の確認が必要。

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ナガ(Naqa)

三つの頭を持つ姿が刻まれた獅子神殿

地図で開く

ナガの住所: スーダン(メロエ島の考古遺跡群)

ナガの祀られた神: アペデマク・アメン

ナガに残るもの: 獅子神殿・アメン神殿・ローマ風の小神殿

メロエ島の考古遺跡群の構成要素のひとつで、王都メロエの後背地にあたる宗教の中心地です。

ここの獅子神殿は、クシュ式の建築の典型とされます。

壁面には、

王と王妃が並んで敵を打ち据える場面。
三つの頭と四本の腕を持つアペデマク。

が刻まれています。エジプトの図像の規則から外れた造形として知られます。

同じ場所にアメン神殿もあり、

エジプトの神と、クシュ固有の神が、隣り合って祀られていた

ことが分かります。

さらに、ローマ風の柱を持つ小さな建物も残り、

ギリシャ・ローマ世界との接触

をうかがわせます。複数の文化が重なった場所です。

スーダン。近年は現地情勢の影響を受けており、訪問には最新の確認が必要。

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アペデマクが現代に残した痕跡

アペデマクの姿は、スーダンの獅子神殿の壁に残りました。

ナガの獅子神殿: 三つの頭と四本の腕を持つ姿が刻まれた浮き彫りで知られる。エジプトの図像の規則から外れた造形。

ムサワラット・エス・スフラの獅子神殿: 大囲壁の南東およそ600メートルにある一室の建物。メロエ式の神殿の典型とされる。

メロエ文字: クシュ王国が作った独自の文字。読み方は分かっているが、言語そのものはまだ十分に解読されていない。

蛇の胴を持つ姿: 蓮の花から蛇の体が伸び、その先に獅子の頭がある造形。ナガの神殿の壁に見られる。

アペデマクが司るもの

戦勝

クシュ王国の戦の神。王が敵を打ち据える場面とともに神殿の壁に刻まれた。

王権

王と並んで描かれ、クシュの王権を支える神とされた。

豊穣

蓮の花から蛇の体が伸びる図像など、実りと生命に関わる表現も見られる。

国の守り

エジプトから多くを取り入れた国が、戦の神だけは自前で立てた。

アペデマクが登場するゲーム・アニメ

エジプト神話の一柱として扱われることに、注意が必要です。

この神は、エジプトの神ではありません。 クシュ王国固有の神です。

エジプト神話の一覧に入るのは、

エジプト式の神殿に、エジプトの神々と並んで刻まれた

ためです。

近年は、スーダンのピラミッドを紹介する番組で名が挙がることが増えました。エジプトの南に別の王国があったこと自体が、日本ではあまり知られていません。

アペデマクが登場するゲーム

女神転生シリーズ

登場することはほとんどありません。

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Assassin's Creed オリジンズ

ヌビア方面を扱う場面があり、この地域の文化が背景に置かれています。

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アペデマクが登場するアニメ・漫画・映像

スーダンのピラミッドを扱った番組

メロエの遺跡を紹介する文脈で、この神の神殿が取り上げられます。

クシュ王国を扱った書籍

エジプトを征服した黒い王たちの歴史として、この神が引かれます。

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アペデマクについてよくある質問

アペデマクは何の神様ですか。

ナイル上流のクシュ王国(メロエ)が祀った、獅子の頭を持つ戦の神です。エジプトの神ではなく、クシュ固有の神です。

なぜエジプト神話に入っているのですか。

エジプト式の神殿に、アメンやイシスといったエジプトの神々と並んで刻まれたためです。クシュ王国はエジプトから文字も神殿の形もピラミッドも取り入れました。ただし、この神だけはエジプトに対応する相手がいません。

三つの頭と四本の腕というのは本当ですか。

ナガの獅子神殿の浮き彫りに、その姿の例があります。エジプトの図像には複数の頭や腕を持つ神がほとんどいないため、しばしば議論になります。インドの神との類似が話題にされますが、確かな証拠は乏しく、王の複数の側面を示す表現とする見方もあります。

クシュ王国とは何ですか。

いまのスーダンにあった王国です。長くエジプトの支配下にありましたが、紀元前8世紀に力関係が逆転し、クシュの王がエジプト全土を治めました。彼らはピラミッドを建て、エジプトの神々を祀り、ヒエログリフを使いました。

神殿はどこにありますか。

すべてスーダンにあります。ムサワラット・エス・スフラの獅子神殿と、ナガの獅子神殿が代表です。いずれも世界遺産「メロエ島の考古遺跡群」に含まれます。

いま訪ねられますか。

近年、この地域は現地の情勢の影響を受けています。国際機関からも遺跡の保護を求める呼びかけが出されており、訪問には最新の状況の確認が必要です。

アペデマクと併せて覚えたい言葉・用語

ヒエログリフ(Hieroglyph/神聖文字)

古代エジプトの絵文字。エジプト語では「神の言葉(メドゥ・ネチェル)」と呼ばれた。子音だけを書き母音は書かないため、当時の正確な発音は分かっていない。西暦394年の碑文を最後に使われなくなり、1822年にシャンポリオンが解読するまで千四百年以上読めなかった。