テーベの戦の神。アメンに主神の座を明け渡した先代。
モンチュとは何の神様か
モンチュはひとことで言えば先に主神だった神です。
テーベの戦の神であり、姿は隼の頭に二枚の高い羽根と日輪を戴きます。
エジプトで戦いを讃える定型句があります。
王はモンチュのごとく戦場へ出た。
ラメセス2世のカデシュの戦いの記録にも、この言い回しが繰り返し現れます。
注目すべきは地位の変化です。中王国時代、テーベの主神はこの神でした。
メンチュヘテプという王名は「モンチュは満足する」を意味する。
王が名に冠するほどの神だったわけです。
ところが新王国になると、テーベの主神の座はアメンへ移ります。以後この神は、
戦のときだけ呼ばれる神
になりました。聖獣は牡牛ブキスです。
モンチュのヒエログリフの表記と読み方
エジプト語では mnṯw。日本語ではモンチュ、メンチュ、モントゥ、モンツと揺れます。
この神の名が確実に残っているのは、王の名前です。
メンチュヘテプ(モンチュは満足する)。
中王国を開いた王家が、この名を三代にわたって使いました。神の名を王が背負った時代があった、という記録です。
もうひとつ、地名にも残ります。
アルマント。ギリシャ語ではヘルモンティス。
これは「モンチュのイウニ」というエジプト語の町名が変化したものです。現代の地名のなかに、神の名が入っています。
聖獣の名ブキスも、この神を語るときに欠かせません。
mnṯw(モンチュ)
ヒエログリフの転写。日本語ではモンチュ、メンチュ、モントゥなどと表記される。
mnṯw-ḥtp(メンチュヘテプ)
「モンチュは満足する」。中王国を開いた王家の名に、この神の名が入っている。
Ἑρμώνθις(ヘルモンティス)
アルマントのギリシャ語名。エジプト語のイウニ・モンチュ(モンチュのイウニ)に由来する。
モンチュの物語
テーベの主神だった頃 ─ 王が名に冠した神
エジプトの首都は、時代によって動きます。
中王国時代、テーベが国の中心になりました。このとき、テーベの主神だったのがモンチュです。
メンチュヘテプ2世が、分裂していた国を再び統一した。
この王の名が「モンチュは満足する」を意味します。王の名前が、この神への奉献になっています。
以後、同じ名を持つ王が続きます。中王国の始まりは、
モンチュの名を負った王たちの時代
でした。
神殿も各地に建てられました。テーベの周囲には、
北のメダムード、南のトド、対岸のアルマント
と、この神の拠点が置かれます。都市を囲むように配置されていました。
カルナックにも、アメン神域の北側に独立したモンチュの区画があります。エジプト政府の遺跡案内も、カルナックの構成として
南にムートの区画、北にモンチュの区画
を挙げています。
アメンに譲る ─ 主神が入れ替わる
新王国が始まると、テーベの主神はアメンになります。
アメン=ラーが国家神になり、カルナックは巨大化した。
モンチュの区画は、その北に残されました。同じ場所で、規模の差だけが開いていきました。
この入れ替わりは、戦争によるものではありません。
神が神を倒す物語は、エジプトにはほとんどない。
王家が変わり、支持する神が変わっただけです。古い神は消されず、
役割を限定されて残る
形になりました。
モンチュに残されたのが戦です。国家全体を治めるのはアメン、
戦場で王に憑くのがモンチュ
という分業になりました。
興味深いのは、称号としてはむしろ強まったことです。ラメセス2世は自らを、
二つの土地のモンチュ
と呼ばせています。主神ではなくなったあとに、王の異名として広く使われるようになりました。
聖牛ブキス ─ 生きた神を一頭だけ選ぶ
モンチュの聖獣は、牡牛です。名をブキスといいます。
選ばれる基準がありました。
白い体に、黒い頭。
この条件に合う牛が国じゅうから探され、一度に一頭だけが神の宿るものとされました。
死ぬと、次の一頭が探されます。
前の牛は、丁重に葬られる。
アルマント近くには、この牛を葬るための墓域が作られました。ブケイオンと呼ばれます。
同じ仕組みは、メンフィスのアピス牛にもありました。エジプト政府のサッカラの解説は、アピス牛について
死ぬと十分な礼をもって葬られ、次の一頭が見つかるまでその地位は空く
と記しています。生きた動物を神の器とする考え方が、複数の都市で並行していました。
牛の母牛も神とされ、別に祀られました。一頭の牛のために、神殿と墓と祭祀が用意されていたことになります。
記録に残る戦の神 ─ 碑文のなかの定型句
モンチュの物語は、ほとんど伝わっていません。
生まれの話がない。争いの話がない。冥界での役目もない。
かわりにこの神が大量に残っているのが、王の戦勝碑文です。
王はモンチュのごとく敵中へ突き入った。
王はモンチュの力をもって、異国を打ち砕いた。
定型句として、何百回も刻まれました。物語ではなく、比喩として生き延びた神です。
なぜ物語が残らなかったのか。手がかりは、この神が
都市の守り神として始まった
ことにあります。ヘリオポリスやメンフィスの神学が全国的な体系を作ったのに対し、テーベの古い神には、
世界の始まりを説明する役目
が与えられませんでした。中王国でいったん頂点に立ちますが、その期間は短く、
神学を整える前に、アメンへ主神の座が移った
と考えられます。残らなかったこと自体が、この神の歴史を示しています。
モンチュの家系図と家族
モンチュの性格と人物像
モンチュは、譲った神です。
王が名に冠するほどの主神でありながら、新王国に入るとアメンへ座を明け渡しました。
戦って負けたのではない。都が変わり、王家が変わっただけ。
注目すべきは、消えなかったことです。
神殿は残り、称号は残り、聖牛の祭祀も続いた。
エジプトは、古い神を消しません。役割を狭めて残します。 セトのように積極的に削られた例のほうが、むしろ例外です。
そして、この神には物語がありません。
生まれも、争いも、死も伝わらない。
かわりに、王の戦勝碑文のなかに
王はモンチュのごとく
という言い回しで、何百回も現れます。神話ではなく、比喩として三千年生き延びました。
聖牛ブキスの祭祀が続いたことも見落とせません。語られなくても、飼われていた神です。
モンチュを祀った神殿と遺跡
モンチュの神殿は、中心から外されています。
カルナックの北端。テーベ周辺の小さな町。
中王国の主神だった時代の建物は、後代に石材を取られたり、上に建て替えられたりして、まとまった形では残っていません。
そのため、この神を見るなら
王の戦勝碑文
が確実です。ルクソール神殿やカルナックの外壁に刻まれた戦いの場面で、王を讃える文にこの神の名が現れます。
建物ではなく、文章のなかに残った神です。
カルナックのモンチュ神域(Precinct of Montu, Karnak)
カルナック北端に置かれた独立区画
カルナックは、ひとつの神殿ではありません。
エジプト政府の遺跡案内は、カルナックの構成を
アメンの区画、南のムートの区画、北のモンチュの区画、東のアテンの神殿
と説明しています。モンチュには、独立した囲壁を持つ自分の区画があります。
位置が語ります。中央にいるのはアメンで、モンチュは北の端です。
中王国の主神が、新王国の主神の隣に、規模を縮めて残った。
整備の度合いも中央とは違い、観光の主動線からは外れています。
カルナック全体は、
屋根のない博物館
と呼べる規模の遺跡で、テーベ東岸にあります。アメンの巨大な列柱を見たあと、北へ歩くと、この神の区画に着きます。
ルクソール市内。区画によって公開状況が異なるため現地の案内に従いたい。
ルクソール神殿(Luxor Temple)
戦勝碑文にこの神の名が刻まれた場所
この神に捧げられた神殿ではありません。碑文を読む場所として挙げます。
古代エジプト人はここを、
南の聖所
と呼びました。カルナックとのあいだは、スフィンクスの並ぶ参道でつながれています。
入口の塔門には、ラメセス2世のカデシュの戦いの場面が刻まれています。そこに、
王はモンチュのごとく戦場へ出た
という型の讃辞が現れます。この神は、神殿ではなく戦勝碑文のなかにもっとも多く残りました。
エジプト政府の案内も、ルクソール神殿を
古代テーベ、すなわち現在のルクソールの内部にあることから南の聖所と呼ばれた
と記しています。
ルクソール市内中心部。夜間の照明時の見学も行われている。
モンチュが現代に残した痕跡
モンチュの名は、王の名前と、現代の地名に残りました。
メンチュヘテプという王名: 「モンチュは満足する」を意味する。中王国を開いた王家が三代にわたって用いた。
アルマント(ヘルモンティス): エジプト語の「モンチュのイウニ」に由来する地名。現代の地図にも残る。
戦勝碑文の定型句: 「王はモンチュのごとく」という讃辞。新王国の王の記録に繰り返し刻まれた。
聖牛ブキス: 白い体に黒い頭の牡牛。一度に一頭だけが選ばれ、死ぬと専用の墓域に葬られた。
モンチュが司るもの
戦勝
王の勇猛さを表す定型句として、戦勝碑文に繰り返し刻まれた。
王の武勇
ラメセス2世は自らを「二つの土地のモンチュ」と呼ばせた。
牛の守り
聖獣ブキスをはじめ、牛の祭祀と結びつく。
太陽
隼の頭に日輪を戴き、ラーと結びついて語られることもある。
モンチュが登場するゲーム・アニメ
戦の神といえばセクメトかセトという扱いが多く、この神が主役になることはまずありません。
原典では逆で、
王の武勇を讃える言葉は、ほぼこの神の名で書かれた
のが実情です。
また、中王国のテーベの主神だったという歴史も、ほとんど触れられません。アメンの陰に置かれています。
モンチュが登場するゲーム
モンチュが登場するアニメ・漫画・映像
古代エジプト展
隼の頭に二枚の羽根と日輪を戴く像として展示されることがあります。
カデシュの戦いを扱った書籍
王を讃える定型句の説明のなかで、この神の名が引かれます。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
モンチュについてよくある質問
モンチュは何の神様ですか。
テーベの戦の神です。隼の頭に二枚の高い羽根と日輪を戴く姿で描かれ、王の武勇を讃える碑文に繰り返し名が現れます。
なぜアメンに主神の座を譲ったのですか。
戦って負けたのではありません。新王国が始まり、王家が支持する神がアメンへ移ったためです。エジプトでは古い神を消さず、役割を狭めて残します。モンチュには戦の役目が残りました。
メンチュヘテプという王の名と関係がありますか。
あります。「モンチュは満足する」を意味する名で、中王国を開いた王家が三代にわたって用いました。この神が当時の主神だったことを示す記録です。
ブキスとは何ですか。
この神の聖牛です。白い体に黒い頭という条件に合う牛が国じゅうから探され、一度に一頭だけが神の宿るものとされました。死ぬと専用の墓域に葬られます。メンフィスのアピス牛と同じ仕組みです。
モンチュの神殿はどこにありますか。
カルナックの北端に独立した区画があります。エジプト政府の遺跡案内も、カルナックの構成として北のモンチュの区画を挙げています。中央のアメンの区画とは規模が大きく異なります。
なぜこの神の物語は残っていないのですか。
もともと都市の守り神として始まり、世界の始まりを説明する役目を与えられなかったためと考えられています。中王国でいったん頂点に立ちますが、神学が整う前にアメンへ主神の座が移りました。かわりに戦勝碑文の定型句として大量に残っています。