上エジプトを守るハゲワシの女神。王の頭上を翼で覆う。
ネクベトとは何の神様か
ネクベトはひとことで言えば上から覆う神です。
上エジプト、ナイル上流の谷を守るハゲワシの女神です。信仰の中心はネケブ、現在のエル・カブにあたります。町の名が、そのまま女神の名になりました。
図像がはっきりしています。
翼を広げたハゲワシが、王の頭上を飛んでいる。足に輪をつかんでいる。
この輪をシェンといい、永遠と囲い込むことを表します。
下エジプトのウアジェトと対になり、二柱そろって「二女神」と呼ばれます。白冠がこの女神、赤冠がウアジェトという対応です。
もうひとつ大事な点があります。エジプトの文字で、
ハゲワシは「母」を表す記号
でした。そのため、育てる神としての性格も強く持ちます。
ネクベトのヒエログリフの表記と読み方
エジプト語では nḫbt。ネクベト、ネケベトなどと表記されます。
名の意味は「ネケブの女」です。ネケブは町の名で、現在のエル・カブ。神の名が、地名からできています。
これはエジプトでは珍しくありません。
ウアジェトのブト、モンチュのアルマント、セベクのファイユーム。
多くの神が、まず特定の町の神として始まりました。
ギリシャ人はこの女神をエイレイテュイアと重ねました。ギリシャの出産の女神です。
ハゲワシが「母」を表す記号だったこと
が、この見立ての理由と考えられています。そのためエル・カブは、ギリシャ・ローマ時代にエイレイテュイアポリスと呼ばれました。
二女神をまとめて指すネブティという語も、この女神を語るうえで欠かせません。
nḫbt(ネクベト)
ヒエログリフの転写。「ネケブの女」の意。ネケブは現在のエル・カブ。
Εἰλείθυια(エイレイテュイア)
ギリシャ人による同一視。出産の女神と重ねられ、エル・カブは「エイレイテュイアの町」と呼ばれた。
nbtj(ネブティ)
「二人の女主人」。ネクベトとウアジェトを合わせた呼び名で、王の称号のひとつになった。
ネクベトの物語
エル・カブ ─ 町ごと囲った聖地
エル・カブは、ルクソールとアスワンのあいだ、ナイルの東岸にあります。古代の名はネケブ。
エジプト政府の遺跡案内は、この地を
ハゲワシの女神ネクベトの信仰の中心地であり、上エジプトの守護神の町
として記載しています。
この遺跡の特徴は囲壁です。
日干し煉瓦を積んだ巨大な壁が、神殿だけでなく町全体を囲んでいる。
神殿の周りを囲うのではありません。集落ごと壁のなかに入っています。
使われた期間の長さも際立ちます。
先王朝時代から、ギリシャ・ローマ時代まで。
三千年以上、途切れずに人がいました。
対岸のやや南には、ヒエラコンポリス(コム・エル・アフマル)があります。ホルスの町であり、
王朝の成立にかかわる最古級の遺物が出た場所
です。上エジプトの二つの古い町が、川をはさんで向き合っています。
翼で覆う ─ 王の頭上を飛ぶ
エジプトの神殿に入って、天井を見上げてください。
翼を広げたハゲワシが、列をなして飛んでいる。
これがネクベトです。
通路の天井にこの図が並ぶのは、
そこを歩く王の頭上を、女神が覆っている
ことを表します。建物の構造そのものが、守りの表現になっています。
足につかんでいる輪はシェンといい、
端のない紐。始まりも終わりもない形。
から永遠を意味しました。のちに横に伸ばされ、王の名を囲うカルトゥーシュ?になります。
もうひとつ、この女神は扇や団扇の意匠にも使われました。
王の背後で従者が掲げる大きな羽根扇。
そこにも翼の形が反映されています。
上から、後ろから、覆う。 この神の働きは、位置で示されました。
母としてのハゲワシ ─ 文字が決めた性格
エジプトの文字で、ハゲワシの絵は「母」を表しました。
母を意味する語が、ハゲワシの記号で書かれる。
これは、この女神の性格を大きく左右しました。
ハゲワシは死肉を食べる鳥です。日本語の語感では、母とは結びつきません。ところがエジプトでは、
巣の上で羽を広げ、雛を覆い隠す姿
が強く意識されました。覆うことが、母であることの形でした。
そのため、この女神は
王の乳母
としても描かれます。王が女神の乳を飲む場面が、神殿の壁に刻まれました。
ギリシャ人が出産の女神エイレイテュイアと重ねたのも、この性格によります。
王妃の冠にも、
ハゲワシの形をした頭飾り
が使われました。王を産む立場にある者が、この鳥をかぶりました。
攻撃するウアジェトと、覆うネクベト。二女神は、守りの二つの形を分け持っています。
シンボル ─ 白冠、ハゲワシ、そしてシェンの輪
この女神を示す形は、三つあります。
一つめが白冠です。
上エジプトの冠。背の高い、丸みのある白い帽子の形。
下エジプトの赤冠と重ねると、二重冠になります。
二つめがハゲワシそのものです。翼を広げた姿、王の頭上を飛ぶ姿、王妃の頭飾り。いずれも、上から覆う形をとります。
三つめがシェンの輪です。足につかんでいる、端のない紐の輪。
永遠と、囲い込むこと。
を表します。この形が伸びて、王の名を囲む枠になりました。
植物では、上エジプトは蓮、下エジプトはパピルスです。神殿の柱の形に、この区別が使われました。
まとめると、
白冠と蓮とハゲワシが上、赤冠とパピルスとコブラが下。
エジプトの図像を読むとき、この対応表を持っていると、壁画の意味が変わります。
ネクベトの家系図と家族
ネクベトの性格と人物像
ネクベトは、位置で語る神です。
頭の上。天井。背後。
この女神が描かれる場所は、いつも覆う側にあります。自分から動く物語がありません。
注目すべきは、攻撃する神とひと組にされていることです。
ウアジェトが額で威嚇し、ネクベトが頭上を覆う。
守りを二つに分けて、二柱に持たせました。片方だけでは足りないという設計です。
そして、この神はハゲワシです。
死肉を食べる鳥が、母の記号になっている。
日本語の感覚とはずれます。エジプト人が見ていたのは、
巣の上で羽を広げ、雛を隠す姿
でした。覆うことが、母であることの形だったわけです。
物語が少ないこの神が三千年残ったのは、王の称号に組み込まれていたからです。神話ではなく、制度によって残りました。
ネクベトを祀った神殿と遺跡
ネクベトの聖地は、対になるウアジェトより、はるかによく残っています。
エル・カブには煉瓦の壁が立ち、ブトは耕地の下の土の丘。
上エジプトが乾いた谷、下エジプトが湿ったデルタだからです。同格の二柱でありながら、残り方が正反対になりました。
そのため、
上エジプトの神は語られ、下エジプトの神は語られにくい
傾向が生まれています。遺跡の残り方が、神話の語られ方を変えている例です。
エル・カブ(ネケブ)(Elkab)
ネクベト信仰の中心地
エル・カブ(ネケブ)の住所: エジプト アスワン県エル・カブ
エル・カブ(ネケブ)の祀られた神: ネクベト
エル・カブ(ネケブ)に残るもの: 日干し煉瓦の大囲壁・神殿址・岩窟墓・砂漠の小神殿
ネクベト信仰の中心です。古代の名はネケブで、女神の名はここから来ています。
エジプト政府の遺跡案内は、この地を
ハゲワシの女神ネクベトの信仰の中心地であり、上エジプトの守護神の町
と記しています。先王朝時代からギリシャ・ローマ時代まで、途切れずに使われました。
最大の見どころは、
日干し煉瓦を積んだ巨大な囲壁
です。神殿だけでなく町全体を壁で囲った規模が、いまも平面として残っています。
岩壁には岩窟墓が並び、新王国時代の軍人の自伝が刻まれています。ヒクソス追放の記録として、しばしば引用される碑文です。
砂漠側の谷にも小さな神殿が点在します。
ルクソールとアスワンのあいだ、ナイル東岸。エドフと合わせて回れる。
ヒエラコンポリス(コム・エル・アフマル)(Hierakonpolis / Kom el-Ahmar)
王朝成立期の中心地
ヒエラコンポリス(コム・エル・アフマル)の住所: エジプト 上エジプト、エドフ近郊
ヒエラコンポリス(コム・エル・アフマル)の祀られた神: ホルス・ネクベト
ヒエラコンポリス(コム・エル・アフマル)に残るもの: 先王朝時代の都市址・墓域
エル・カブの対岸にあたる、ホルスの町です。ギリシャ語名は「隼の町」を意味します。
エジプト政府の年代解説は、この地を
ナカダ2期のもっとも重要な遺跡のひとつ
として挙げ、エドフ近郊の上エジプトにあると記しています。
ここから出たのが、
エジプト統一を記録した最古級の資料
とされる遺物です。国家が始まる場面の史料が、この地に集中しています。
ネクベトの町エル・カブと、ホルスの町ヒエラコンポリスが、
ナイルをはさんで向かい合っている。
この配置は偶然ではないと考えられています。上エジプトの王権が生まれた場所に、上エジプトの守護女神がいました。
発掘が続く遺跡で、整備された神殿を見る場所ではない。
エジプト博物館(タハリール)(The Egyptian Museum)
二女神の意匠が並ぶ場所
エジプト博物館(タハリール)の住所: エジプト カイロ
エジプト博物館(タハリール)の祀られた神: ネクベト・ウアジェト
エジプト博物館(タハリール)に残るもの: 王の冠・胸飾り・黄金のマスク
この女神を実物で見るなら、冠と装身具です。
ツタンカー?メンの黄金のマスクには、
ハゲワシとコブラが並んで額についています。
上エジプトと下エジプトを、王の顔の正面に並べた造形です。
また、王妃のハゲワシ形の頭飾りも、この館の収蔵品で確認できます。
カイロのこの館は中東でもっとも古い考古博物館とされます。近年、主要な収蔵品の一部が新しい館へ移されているため、
訪問前に、目当ての品がどちらにあるかを確かめる
必要があります。
カイロ中心部。展示替えが続いているため公式の案内を確認したい。
ネクベトが現代に残した痕跡
ネクベトの姿は、神殿の天井と、王妃の冠に残りました。
天井の翼: エジプトの神殿の通路の天井には、翼を広げたハゲワシが列をなして描かれる。そこを歩く王を上から覆う表現。
シェンの輪: 足につかむ端のない紐の輪。永遠を意味し、横に伸ばされて王の名を囲むカルトゥーシュになった。
王妃のハゲワシ冠: 王妃がかぶるハゲワシ形の頭飾り。ハゲワシがエジプトの文字で「母」を表す記号だったことによる。
エイレイテュイアポリス: エル・カブのギリシャ語名。ギリシャ人はこの女神を出産の女神エイレイテュイアと重ねた。
ネクベトが司るもの
王の守護
王の頭上を翼で覆う。神殿の通路の天井に、この姿が列をなして描かれた。
上エジプトの守り
白冠と蓮がしるし。下エジプトのウアジェトと対になる。
出産と養育
ハゲワシは「母」を表す記号。王の乳母として描かれ、ギリシャ人は出産の女神と重ねた。
永遠
足につかむシェンの輪が、端のない紐として永遠を表す。
ネクベトが登場するゲーム・アニメ
単独では、まず登場しません。
創作で扱われるのはウラエウス?の蛇のほうで、
頭上のハゲワシ
は背景の一部として流されがちです。
また、ハゲワシが「母」の記号だったという点は、日本語の語感と離れているため、ほとんど説明されません。原典を読むうえでは、ここが要になります。
ネクベトが登場するゲーム
ネクベトが登場するアニメ・漫画・映像
古代エジプト展
王冠や王妃の頭飾りの解説のなかで紹介されます。
エジプトの図像を扱った書籍
「二女神」の対応表として、ウアジェトと並べて説明されることが多い神です。
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ネクベトについてよくある質問
ネクベトは何の神様ですか。
上エジプト(ナイル上流の谷)を守るハゲワシの女神です。翼を広げて王の頭上を飛び、上から覆って守るとされました。
ウアジェトとの違いは何ですか。
守る範囲と守り方が違います。ネクベトが上エジプトでハゲワシと白冠、ウアジェトが下エジプトでコブラと赤冠です。ネクベトは上から覆い、ウアジェトは額で敵を焼きます。二柱そろって「二女神」と呼ばれました。
なぜハゲワシなのですか。
エジプトの文字で、ハゲワシの絵が「母」を表す記号だったためです。巣の上で羽を広げて雛を覆う姿が意識されました。そのため、この女神は王の乳母としても描かれます。
シェンの輪とは何ですか。
この女神が足につかんでいる、端のない紐の輪です。始まりも終わりもない形から永遠を意味しました。のちに横に伸ばされ、王の名を囲むカルトゥーシュの枠になります。
ネクベトの聖地はどこですか。
エル・カブ(古代のネケブ、アスワン県)です。女神の名はこの町の名から来ています。日干し煉瓦の巨大な囲壁が残り、先王朝時代からギリシャ・ローマ時代まで使われ続けました。
ギリシャ人はこの女神をどう見ましたか。
出産の女神エイレイテュイアと重ねました。そのためエル・カブは「エイレイテュイアの町」と呼ばれています。ハゲワシが「母」を表す記号だったことが、この見立ての背景にあります。
ネクベトと併せて覚えたい言葉・用語
カルトゥーシュ(Cartouche/王名を囲む枠)
王の名前を囲む楕円形の枠。縄を結んだ形で、「太陽が巡るすべて」を意味する。ロゼッタ・ストーン解読の手がかりになった。
カー(kꜣ/生命力)
人と一緒に生まれ、死後も供物を受け取る生命力。クヌムがろくろで人を作るとき、肉体とカーの二体を同時に形作った。
ウラエウス(jꜥrt/額のコブラ)
王冠の額に立つコブラ。敵に炎を吐いて王を守る。アトゥムが自分の目を額に置いたことが起源とされる。