書記と測量の女神。神殿の縄を、王と向かい合って張った。
セシャトとは何の神様か
セシャトはひとことで言えば測る神です。
書くこと・数えること・測ることを司る女神で、名は「女書記」を意味します。
頭上の記号が独特です。
七つに分かれた星形。その上に、伏せた弓のような形がかぶさる。
この記号が何を表すのかは、いまも定説がありません。 星とも、植物とも、道具ともいわれます。
衣は豹の皮。神官が着るものであり、この女神が儀式の側にいることを示します。
最大の役目は、神殿を建てる最初の儀式です。
王とこの女神が向かい合い、杭を打ち、縄を張って建物の向きを定める。
「縄張りの儀式」と呼ばれ、各地の神殿の壁に刻まれました。
トートと対になり、妻とも娘とも伝えられます。
セシャトのヒエログリフの表記と読み方
エジプト語では sšꜣt。日本語ではセシャト、セシェト、セシャートと表記が揺れます。
名の作りは単純です。
sš(書記)に、女性を表す語尾がついたもの。
つまり「女書記」。役職名が、そのまま神の名になっています。
もうひとつの名セフケト・アブウィは解釈が分かれます。
「二本の角を持つ者」と読む説。
数字の七(sfḫ)から「七つのもの」と読む説。
頭上の記号が七つに分かれていることと、その上に角のような形がかぶさることの、どちらを名の由来と見るかの違いです。
儀式の名ペジェシュ・シェスも重要です。「縄を張る」を意味し、
神殿を建てる最初の作業
を指します。この女神を語るときに、必ず出てくる語です。
sšꜣt(セシャト)
ヒエログリフの転写。「女書記」を意味する。sš(書記)の女性形。
sfḫt-ꜥbwj(セフケト・アブウィ)
「二本の角を持つ者」あるいは「七つのもの」。この女神の別名として現れる。
pḏ-šs(ペジェシュ・シェス)
「縄を張る」。神殿の基礎を定める儀式の名で、この女神が王と向かい合って行う。
セシャトの物語
縄張りの儀式 ─ 王と向かい合って杭を打つ
エジプトで神殿を建てるとき、最初にすることが決まっていました。
王と女神が向かい合い、それぞれ杭を持つ。
杭のあいだに縄を渡し、建物の軸を定める。
これが「縄張りの儀式」です。
方位は、星を見て決めたと考えられています。
北の空の、沈まない星。
この儀式の場面は、カルナック、デンデラ、エドフなど、各地の神殿の壁に刻まれました。建てるたびに、同じ場面が繰り返し描かれます。
注目すべきは構図です。
王と女神が、同じ大きさで、正面から向かい合っている。
エジプトの図像で、神が王より小さく描かれることはありませんが、
二人が対等に同じ作業をしている
場面は多くありません。多くの場合、王は神に何かを捧げるか、神から何かを受け取る側です。
この儀式だけは、共同作業でした。
数える神 ─ 戦利品と貢納と、王の年
セシャトの仕事は、神殿を建てることだけではありません。
数を記録する役目が広くありました。
戦争で得た捕虜と家畜の数。
異国から届いた貢納の量。
倉に納められた穀物。
神殿の壁には、これらを書きつける場面が刻まれています。数えることは、エジプトでは神の仕事でした。
もっとも大きな仕事が、王の在位年数です。
イシェドと呼ばれる聖なる木の葉に、王の名と治世の年を書き込む。
この場面では、トートと並んで描かれることがあります。二柱で同じ木に向かい、
王が何年治めるかを、書き記す。
書かれることが、そのまま決定でした。
エジプトにおいて、
書かれたものは、ある。書かれないものは、ない。
という考え方は徹底しています。名を削れば存在が消えるとされたのも、同じ理屈です。この女神は、その根本のところにいます。
トートとの関係 ─ 妻とも娘とも
セシャトは、トートと切り離せません。
どちらも書記の神。どちらも記録を司る。
関係の伝えは一定しません。
妻とする伝え。娘とする伝え。同じ働きを分け持つ対とする見方。
エジプトの系譜は、都市と時代で変わります。 矛盾ではなく、そういう体系です。
役割の分かれ方には、ゆるやかな傾向があります。
トートは文字そのものと知恵、月と暦。
セシャトは測量、建築、数の記録。
トートが言葉の側、セシャトが数の側、といういい方ができます。
ただし重なりも大きく、
王の年を記す場面には、二柱とも現れる。
こともあります。
興味深いのは、セシャトのほうが古いとする見方があることです。
初期王朝時代の資料に、この女神の姿がすでにある。
書記の神としては、女神のほうが先に立っていた可能性が指摘されています。
シンボル ─ 七つの星形と、豹の皮
この女神を見分ける形は、はっきりしています。
一つめが、頭上の記号です。
棒の上に、七つに分かれた星形。その上から、伏せた弓のような形がかぶさる。
この記号はこの女神にしか使われません。 ただし、
何を写した形なのかは、分かっていません。
星、パピルスの花、大麻の葉、測量の道具。さまざまな説が出されましたが、決着していません。
二つめが、豹の皮の衣です。
星のような斑点のある毛皮。
これは葬送の儀式を行う神官が着るもので、この女神が儀式の実行者であることを示します。
三つめが、持ち物です。
筆記用の道具。棕櫚の葉の茎。杭と縄。
棕櫚の葉は、エジプトの文字で「年」を表しました。時間を数える道具です。
まとめると、この女神の図像は
分からない記号、儀式の衣、測る道具
でできています。役割は明快なのに、いちばん目立つ記号だけが謎のまま残りました。
セシャトの家系図と家族
セシャトの妻・夫: トート夫婦(娘とする伝えもある)
セシャトの性格と人物像
セシャトは、決める神です。
建物の向きを決める。王の在位年数を決める。数を確定する。
書くことが、そのまま決定でした。
注目すべきは、この女神が王と対等に向かい合うことです。
縄張りの儀式では、二人が同じ杭を持ち、同じ縄を張る。
エジプトの図像で、王と神が共同作業をする場面はほとんどありません。測ることだけは、二人でやるものでした。
もうひとつ、この神には物語がありません。
生まれの話がない。争いの話がない。
あるのは、儀式の場面と、称号と、道具だけです。
それでも三千年、繰り返し壁に刻まれ続けました。
神殿を建てるたびに、この女神が呼ばれた。
物語ではなく、手続きによって残った神です。
そして、頭上の記号が何なのか、いまも分かりません。記録の神の、いちばん目立つしるしが読めないというのは、皮肉な残り方です。
セシャトを祀った神殿と遺跡
セシャト単独の神殿は、知られていません。
建てる側の神であって、建てられる側の神ではない。
という位置づけです。神殿を作る儀式に必ず現れるのに、自分の神殿がありません。
そのため、この女神を探すときは
神殿の壁面の、王と向かい合う場面
を見ることになります。カルナック、ルクソール、デンデラ、エドフ。大きな神殿であれば、どこかに刻まれています。
頭上の七つに分かれた記号を目印にしてください。他の神と間違えようのない形です。
カルナック神殿群(Karnak)
縄張りの儀式の場面が刻まれた場所
カルナック神殿群の住所: エジプト ルクソール(テーベ東岸)
カルナック神殿群の祀られた神: アメン・ムート・コンス・モンチュ
カルナック神殿群に残るもの: 大列柱室・オベリスク・聖池・複数の区画
エジプト政府の遺跡案内は、カルナックを
テーベ(現在のルクソール)の東岸にあり、多くの神殿と礼拝堂が集まる場所
と記し、屋根のない博物館と呼んでいます。
この神殿群は、増築が二千年にわたって繰り返されたという点で特別です。王が代わるたびに新しい門や柱が加えられました。
そのたびに、
縄張りの儀式
が行われました。壁面には、王とセシャトが向かい合って杭を持つ場面が刻まれています。
この女神を探すなら、増築のたびに繰り返された儀式の場面です。神殿が大きいほど、この場面は多くなります。
聖池も見どころで、原初の水を表すとされました。
ルクソール市内。広大なため半日以上をみておきたい。
デンデラ神殿(Temple of Dendera)
保存のよい浮き彫りで儀式の場面が読める
エジプト政府の案内は、この神殿を
エジプトでもっとも保存状態のよい神殿のひとつ
とし、入口の六本のハトホル柱と、天井の天文の彫刻を挙げています。
プトレマイオス朝の建立ですが、古王国のペピ1世の時代から、この場所には建物がありました。
セシャトを見るうえで重要なのは、
浮き彫りの保存がよく、細部まで読める
ことです。縄張りの儀式の場面も、頭上の記号の形まで確認できます。
天井の天体図も、この女神と無縁ではありません。
神殿の向きは、星を見て決められた。
測ることと星を見ることが、同じ場所に刻まれています。
ルクソールから車で行ける。アビドスと合わせた一日の行程が一般的。
ルクソール神殿(Luxor Temple)
南の聖所と呼ばれた神殿
エジプト政府の案内は、この神殿を
古代テーベ、すなわち現在のルクソールの内部にあることから、南の聖所と呼ばれた
と記しています。カルナックとのあいだは、スフィンクスの並ぶ参道でつながれていました。
ここも増築が重ねられた神殿です。建て増しのたびに縄張りの儀式が行われ、その場面が壁に加えられました。
塔門の前にはオベリスクが立っています。もう一本は、
十九世紀にフランスへ運ばれ、パリの広場に立っています。
測量と方位を司る女神の神殿から、方位を示す石が一本だけ抜けた形です。
ルクソール市内中心部。カルナックとの往復は徒歩でも可能な距離。
セシャトが現代に残した痕跡
セシャトの姿は、神殿の壁の儀式の場面に残りました。
縄張りの儀式の浮き彫り: 王と女神が向かい合って杭を持ち、縄を張る場面。神殿を建てるたびに壁に刻まれた。
七つに分かれた記号: この女神の頭上にある形。何を写したものかは現在も定説がなく、星とも植物とも道具ともいわれる。
豹の皮の衣: 葬送の儀式を行う神官が着るもの。この女神が儀式の実行者であることを示す。
棕櫚の葉の茎: エジプトの文字で「年」を表す記号。この女神が持ち、王の在位年数を数える道具となった。
セシャトが司るもの
建築・測量
神殿を建てる最初の儀式で、王と向かい合って縄を張り、建物の向きを定めた。
記録
戦利品や貢納の数を書きつける役目。数えることは神の仕事とされた。
学問・書記
名は「女書記」。書記たちの守護者とされ、文書庫との結びつきが強い。
王の年
聖なる木の葉に王の名と治世の年数を記した。書かれることが決定を意味した。
セシャトが登場するゲーム・アニメ
トートの陰に入っています。
書記の神といえばトートで、
女神のほうが古い可能性がある
という指摘は、ほとんど紹介されません。
また、王と対等に向かい合う場面というエジプトでは珍しい構図も、あまり注目されていません。原典を見るうえでは、ここが最大の見どころです。
セシャトが登場するゲーム
セシャトが登場するアニメ・漫画・映像
古代エジプト展
神殿の建設儀礼の説明のなかで、王と向かい合う女神として紹介されます。
エジプトの建築を扱った書籍
神殿の方位決定の話題で、この女神の名が必ず引かれます。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
セシャトについてよくある質問
セシャトは何の神様ですか。
書くこと、数えること、測ることを司る女神です。名は「女書記」を意味します。神殿を建てる最初の儀式で、王と向かい合って縄を張り、建物の向きを定めました。
縄張りの儀式とは何ですか。
神殿を建てる前に、王とこの女神が向かい合って杭を打ち、そのあいだに縄を渡して建物の軸を定める儀式です。方位は北の空の沈まない星を見て決めたと考えられています。各地の神殿の壁に、この場面が刻まれています。
頭の上の記号は何ですか。
七つに分かれた星形の上に、伏せた弓のような形がかぶさる記号です。この女神にしか使われませんが、何を写した形なのかは分かっていません。星、植物、測量の道具など諸説あります。
トートとの関係は何ですか。
妻とする伝えと娘とする伝えがあり、一定しません。役割はゆるやかに分かれ、トートが文字と知恵と暦、セシャトが測量と建築と数の記録を担います。初期王朝時代の資料にはこの女神の姿がすでにあり、書記の神としてはセシャトのほうが古い可能性も指摘されています。
セシャトの神殿はどこにありますか。
単独の神殿は知られていません。建てる側の神であって、建てられる側の神ではないためです。カルナックやルクソール、デンデラなど大きな神殿の壁面に、王と向かい合う場面として刻まれています。
なぜ数えることが神の仕事なのですか。
エジプトでは、書かれたものは存在し、書かれないものは存在しないと考えられていました。名を削れば存在が消えるとされたのも同じ理屈です。数を確定して書き記すことは、その存在を確定することでした。