優美の女神カリスの母。海に落ちたヘパイストスを九年かくまった。
エウリュノメとは何の神様か
エウリュノメのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Εὐρυνόμη。日本語では「エウリュノメ」または「エウリュノメー」と書きます。
名は「広い」を意味する語と、「配る」「治める」を意味する語を合わせたものです。広く治める者、あるいは広く分け与える者と読めます。
この名は、オルフェウス教の伝えとよく響き合います。 そこではこの女神が、クロノスより前に世界を治めていたとされるからです。名が先か、伝えが先かは分かりません。
混同しやすい名として、エウリュビアがあります。こちらはポントスの娘で、クレイオスの妻です。
エウリュノメ。 エウリュビア。 エウリュディケ。
いずれも別の女神で、系譜も物語も重なりません。「エウリュ」で始まる名はギリシャ神話に多く、事典でも取り違えが起こります。
Εὐρυνόμη(エウリュノメ)
古代ギリシャ語の表記。「広い」を意味する語と「配る」「治める」を意味する語から成り、「広く治める者」の意になる。
エウリュノメー(エウリュノメー)
長音を残した学術的な表記。
エウリュノメ・アルカディア(エウリュノメ・アルカディア)
アルカディア地方で祀られた姿を指す呼び方。上半身が女、下半身が魚の形で表されたとパウサニアスは記す。
エウリュノメの物語
カリスの母 ─ 優美の三女神
ヘシオドス『神統記』は、ゼウスの妻たちを順に挙げていきます。その並びのなかに、この女神がいます。
オケアノスの娘エウリュノメが、美しい姿のカリスたちを生んだ。 アグライア、エウプロシュネ、そして愛らしいタレイア。
カリスは、優美・喜び・美しさを司る三女神です。ローマではグラティアエと呼ばれ、三人が手をつないで踊る姿が広く知られています。
目から愛が滴り、見る者の手足をとろけさせた。
カリスは、アフロディテに付き従い、宴を飾り、詩人に恵みを与える女神たちです。単独では動かず、誰かの傍らで働くことに徹しています。
母エウリュノメの性格も、同じ方向を向いています。かくまう、支える、傍らにいる。この母娘には、前に出ない働きが共通しています。
なお、カリスの母をエウリュノメとするのはヘシオドスの記述で、他の伝えでは別の女神が母とされることもあります。
海の洞窟の九年 ─ ヘパイストスをかくまう
『イリアス』第18歌に、鍛冶の神ヘパイストスが自分の過去を語る場面があります。
生まれつき足が不自由だったため、母ヘラはこの子を恥じて、オリュンポスから海へ投げ落としました。
拾ったのは、テティスとエウリュノメです。
二柱は私を懐に受け止めてくれた。 九年のあいだ、私は海の洞窟で細工をした。 まわりでは大洋の流れが泡立って流れていた。
そこで作ったのは、腕輪、螺旋の飾り、留め金、首飾り。鍛冶の神の最初の仕事は、武具ではなく装身具でした。
そして、この場面を語るとき、ヘパイストスははっきり言います。知っていたのはこの二柱だけだったと。
投げ落とした母への恨みは、後の場面で黄金の椅子の罠として返されます。しかし、かくまった二柱への恩は生涯忘れられませんでした。
海の洞窟の九年が、オリュンポスの技術の始まりでした。
オピオンとの共治 ─ クロノスより前の王
この女神には、まったく別系統の伝えがあります。世界の最初の支配者だったというものです。
アポロニオスの『アルゴナウティカ』のなかで、詩人オルフェウスが世界の始まりを歌う場面があります。
はじめオピオンとオケアノスの娘エウリュノメが、 雪をいただくオリュンポスを治めていた。 のちに力ずくでクロノスとレアに座を譲り、 二柱は大洋の波のなかへ落ちた。
オピオンは蛇の姿の神です。ウラノス・クロノス・ゼウスという三代の交替の、さらに前に一代あったという系譜になります。
これはヘシオドスの体系には無い話で、オルフェウス教と呼ばれる流れに属する伝えです。ギリシャ神話には、こうした少数派の系譜がいくつも並存していました。
興味深いのは、敗れた先が海だという点です。この女神は海に落ち、のちに海の洞窟でヘパイストスをかくまいます。
落とされた者が、落とされた者を助ける。 二つの伝えは、そう読むこともできます。
魚の姿の女神 ─ アルカディアの社
パウサニアスは、ギリシャ本土の内陸アルカディア地方に、この女神を祀る社があったと記しています。
場所は、峡谷を見下ろす険しい土地でした。糸杉に囲まれ、道は険しく、年に一度しか扉が開かれなかったとされます。
神像は黄金の鎖で縛られていた。 上半身は女、下半身は魚の姿だった。
海から遠く離れた山あいの土地に、魚の下半身を持つ女神が祀られていました。
パウサニアス自身、この姿を不思議に思っています。土地の人はこれをエウリュノメと呼んでいましたが、彼は「もとは別の女神ではないか」と書き残しました。オケアノスの娘なら魚の姿にも理由がある、と考えたうえでの但し書きです。
この社の正確な位置は、確かめられませんでした。 峡谷と川の合流点にあったという記述は残りますが、遺構と結びつける資料が手元で得られませんでした。
分からないところは、分からないままにしておきます。
エウリュノメの家系図と家族
エウリュノメの性格と人物像
エウリュノメの働きは、受け止めることに一貫しています。
海に投げ落とされた子を懐に受け、九年かくまいました。オルフェウス教の伝えでは、自分も座を追われて海へ落ちています。
落ちた経験を持つ女神が、落ちてきた者を拾っている。 二つの伝えを並べると、そう読める形になります。
この女神には、怒りの場面がありません。世界の支配権を奪われても、恨みを語る記述はありません。ヘパイストスをかくまったときも、ヘラを責めていません。
生んだ娘たちも同じです。カリスは、宴を飾り、詩人を助け、誰かの傍らで働く女神たちです。主役にならないことに徹しています。
もう一つ、この女神は隠れた場所にいます。 海の洞窟、山あいの峡谷、年に一度しか開かない社。人目につかない場所ばかりです。
名は「広く治める者」を意味します。ところが実際の記述では、この女神はいつも狭く暗い場所にいます。
名前と居場所が食い違っているという点も、この女神の特徴です。
エウリュノメゆかりの地と遺跡
エウリュノメの神殿として位置を確かめられた場所はありませんでした。
ただし、祀られた記録そのものは残っています。パウサニアスは、ギリシャ本土の内陸アルカディア地方にこの女神の社があったと記しました。峡谷を見下ろす険しい土地で、糸杉に囲まれ、年に一度しか扉が開かれなかったとされます。
神像は黄金の鎖で縛られ、上半身が女、下半身が魚の姿だったと書かれています。海から遠い山あいに、魚の姿の女神が祀られていたことになります。
パウサニアス自身、この姿を不思議に思い、もとは別の女神ではないかと但し書きを添えています。
この社の位置を確定できる資料は、手元で得られませんでした。祀られていたことは確かで、場所は分からない。 そのまま書いておきます。
エウリュノメが現代に残した痕跡
エウリュノメの名は、優美の三女神の母として、また世界の最初の支配者として残りました。
優美の三女神の母: カリス三柱の母。三人が手をつないで踊る図像は、古代から近世まで数えきれないほど描かれてきた。
クロノス以前の支配者という伝え: オルフェウス教の系譜では、蛇神オピオンとともに世界を治めていたとされる。ヘシオドスの体系には無い、少数派の伝えである。
魚の姿の神像: アルカディア地方の社に、上半身が女で下半身が魚の像があったとパウサニアスは記す。海から遠い山あいの土地にあった。
小惑星エウリュノメ: 小惑星の一つにこの女神の名が付けられている。
エウリュノメが司るもの
美
優美の三女神カリスの母。優美・喜び・美しさを司る娘たちを生んだ。
調和
カリスは宴を飾り、人と人の間を和らげる女神たちとされた。
助け
海に投げ落とされたヘパイストスを、テティスとともに九年かくまった。
技芸の上達
鍛冶の神は、この女神の洞窟で最初の細工を覚えたと『イリアス』は伝える。
逃れる者の守り
見捨てられた者を受け止める働きに一貫している。自らも座を追われて海に落ちたとする伝えがある。
エウリュノメが登場するゲーム・アニメ
創作でのエウリュノメは、オルフェウス教の伝えのほうが好まれます。 蛇神とともに世界を治めていたという設定が、物語を作りやすいためです。
原典に近い扱いをする作品では、海の洞窟でヘパイストスをかくまう女神として現れます。二十世紀の作家が、この伝えを世界創造の物語として書き直したこともあり、そこから広まった像もあります。
エウリュノメが登場する絵画・彫刻
三美神を描いた作品
手をつないで立つ三人の女性像。娘たちを描いた作品で、古代の彫刻から近世の絵画まで無数にあります。
ヘパイストスの帰還を描いた図像
古代の壺絵に、鍛冶の神がオリュンポスへ戻る場面が残ります。海の洞窟の九年が前提になっています。
エウリュノメが登場するゲーム・創作
ギリシャ神話を題材にした作品
カリスの母、あるいはヘパイストスを助けた女神として名が挙がります。
世界創造を扱う作品
オルフェウス教の系譜を取り入れ、最初の支配者として描かれることがあります。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
エウリュノメについてよくある質問
エウリュノメはどんな神ですか。
オケアノスとテテュスの娘で、大洋の水の精オケアニスの一人です。ゼウスとの間に優美の三女神カリスを生みました。また、海に投げ落とされたヘパイストスをテティスとともに九年かくまったと『イリアス』は伝えます。
ヘパイストスをかくまった話とはどういうものですか。
『イリアス』第18歌で、鍛冶の神が自ら語る場面です。母ヘラに投げ落とされた彼を、テティスとエウリュノメが受け止め、海の洞窟で九年育てました。そこで作った最初の品は武具ではなく装身具でした。
世界の最初の支配者だったというのは本当ですか。
オルフェウス教と呼ばれる流れの伝えです。蛇神オピオンとともにオリュンポスを治め、のちにクロノスとレアに座を譲って海へ落ちたとされます。ヘシオドスの体系には無い、少数派の系譜です。
エウリュビアとは違うのですか。
別の女神です。エウリュビアはポントスとガイアの娘で、クレイオスの妻にあたります。「エウリュ」で始まる名はギリシャ神話に多く、事典でも取り違えが起こります。
エウリュノメを祀った神殿はありますか。
祀られた記録はありますが、位置は確かめられませんでした。パウサニアスは、アルカディア地方の峡谷に年に一度しか開かない社があり、上半身が女で下半身が魚の神像が黄金の鎖で縛られていたと記しています。