ムーサ九柱の長。名は「美しい声」。竪琴の詩人オルフェウスの母。
カリオペとは何の神様か
カリオペはひとことで言えば声のいちばん美しい女神です。
ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの娘で、九柱のムーサの筆頭にあたります。ヘシオドスは名を並べたあと、はっきりこう書き足しました。
カリオペは、九柱のうちでもっとも尊い。 王たちに付き添うのはこの女神である。
受け持ちが叙事詩だとされるのは、ずっと後のことです。九柱それぞれに担当を割り振る整理は、ローマ時代以降にできあがりました。 ヘシオドスの段階では、九柱はまとめて歌う一団でした。
そのヘシオドスがこの女神に与えた仕事は、詩ではなく政治でした。この女神が生まれたばかりの王に目を留めると、王の舌には甘い露が置かれ、口から流れる言葉は蜜のようになる。人々はその裁きを聞き入れ、大きな争いも言葉だけで収まる、というのです。
そして、竪琴ひとつで獣も木も岩も従えた詩人オルフェウスの母とされます。九柱のなかで、子の名がこれほど知られているのはこの女神だけです。
カリオペのギリシャ名・ローマ名と読み方
古代ギリシャ語では Καλλιόπη。日本語では「カリオペ」または「カリオペー」と書きます。
名は二つの語からできています。前半は「美しい」、後半は声や顔つきを意味する語です。つまり「美しい声の女」。九柱のなかで、名前がそのまま能力の説明になっている一柱です。
注意したいのは、後半の語が声と顔の両方を指すことです。そのため古代から「美しい顔の女」と読む説もありました。同じ綴りが二通りに読めるので、古代の注釈者もどちらとも決めていません。
現代には、蒸気の力で汽笛を鳴らして演奏する大型の楽器の名として、この女神の名が残りました。移動遊園地や外輪船に据えられた、遠くまで響く楽器です。美しい声の女神の名が、町じゅうに聞こえる音の機械に付けられました。
Καλλιόπη(カリオペ)
古代ギリシャ語の表記。「美しい」を意味する語と「声」を意味する語を合わせたもので、美しい声の持ち主を指す。
カリオペー(カリオペー)
長音を残した学術的な表記。事典類ではこの形が使われることが多い。
カッリオペ(カッリオペ)
重ねた子音をそのまま写した表記。古典学の書物に見られる。
カリオペイア(カリオペイア)
ラテン語の詩に現れる長い形。ローマの詩人はこちらの形で呼びかけた。
カリオペの物語
王の口に置かれる露 ─ 詩人ではなく統治者の女神
『神統記』でカリオペに与えられた役目は、詩を歌うことではありません。王を弁の立つ者にすることです。
大いなるゼウスが育てた王のうち、 ムーサ?たちが目を留めた者の舌には、甘い露が注がれる。 その口から流れる言葉は、蜜のようである。
この一段は、九柱のなかでもとりわけカリオペと結ばれて語られます。ヘシオドスは直前に、この女神を「九柱のうちもっとも尊い」と置いているからです。
続きはさらに具体的です。人々は集まって、まっすぐな裁きを下すその王を見つめる。過ちを犯した者どうしの争いも、言葉のうまさで収まる。
詩の女神が、法廷と議場の女神でもあったことになります。ギリシャで詩と弁論が同じ技として扱われたのは、この考え方の延長です。
後代に「叙事詩の担当」という札が貼られたとき、この政治的な役目は表から消えました。しかし絵画のカリオペがしばしば王笏や書字板を持つのは、その古い記憶の名残です。
オルフェウスの母 ─ 九柱で唯一、子が有名な女神
ムーサたちは、ふつう個別の物語を持ちません。九人まとまって現れ、まとまって歌います。
そのなかでカリオペだけが、はっきりした家族の物語を持っています。トラキアの王オイアグロスとの間に生まれた子が、竪琴の詩人オルフェウスです。父をアポロンとする伝えもあります。
歌えば獣が寄り、木が傾き、岩が転がってついてきた。
この子は、死んだ妻エウリュディケを取り返しに冥界へ下ります。歌で番犬を眠らせ、冥界の王と妃を泣かせ、いったんは連れ戻す許しを得ますが、振り返って永久に失いました。
母から受け継いだ声の力が、最後にはその力の限界を見せる話になっています。
オルフェウスが女たちに引き裂かれて死んだとき、その首はまだ歌っていたと語られます。ムーサたちが遺体を集めて葬り、竪琴を天に上げてこと座にしたとも伝えられます。
母が声を与え、その声だけが最後まで残った。 カリオペの物語は、息子の物語のかたちで語り継がれました。
九柱に分担が付いた日 ─ 後世の整理
「カリオペは叙事詩、クレイオは歴史、ウラニアは天文」という一覧は、たいへん覚えやすい表です。しかしヘシオドスは、そんなことを一行も書いていません。
『神統記』が書くのは、九柱の名前と、九柱がそろって歌うことだけです。
声をそろえて歌い、その調べは絶えることがない。
分担が整理されたのは、ずっと後のことでした。ローマ時代の著作家や図像のなかで、それぞれに持ち物が割り当てられていきます。仮面、巻物、笛、天球儀。持ち物が先に決まり、担当があとから固まったという順序も指摘されています。
カリオペに割り当てられたのは、蝋を塗った書字板と尖筆、または巻物でした。書く道具です。叙事詩は口で語られるものでしたから、これも後代らしい発想と言えます。
この表を使うときは、紀元前の詩人の考えではなく、数百年あとの整理であることを頭の隅に置いておくのがよいと思います。九柱を一柱ずつ読むときにも、同じ注意が要ります。
カリオペの家系図と家族
カリオペの性格と人物像
カリオペには、怒った場面がありません。
ムーサたちは、歌で挑んできた者を容赦なく罰します。詩人タミュリスは目と歌を奪われ、ピエリデスの姉妹はカササギに変えられました。ただしそれは九柱そろっての行いとして語られ、カリオペひとりの行動としては書かれていません。
この女神が単独で出てくるのは、二つの場面だけです。王に弁舌を授けるときと、息子を送り出すとき。どちらも、自分が前に出るのではなく、誰かの言葉が届くように後ろで支える働きです。
息子オルフェウスが冥界から妻を連れ戻せずに戻ったとき、母が何かをしたという記述はありません。息子が引き裂かれて死んだあと、遺体を集めて葬るところで初めて姿を見せます。
先回りして助けない神です。歌う力は与えるが、その力をどう使うかには手を出さない。
九柱の筆頭でありながら、命令する場面も、序列を主張する場面もありません。ヘシオドスが「もっとも尊い」と書いた根拠は、声の美しさと、王に付き添うという一点だけです。位が高いことと、目立つことは別だという書かれ方をしています。
カリオペを祀った神殿と遺跡
カリオペひとりを祀った神殿は確かめられませんでした。 この女神は、九柱そろってのムーサの聖域のなかで祀られます。
その代表が、ボイオティア地方ヘリコン山麓のムーサの谷です。ヘシオドスが詩人になった場所として名が残り、祭壇と劇場と柱廊の跡が見られます。
九柱を一柱ずつ祀る形は、古代の祭祀にはほとんど見られません。 個別の名と持ち物は、祭りの場ではなく、図像と書物のなかで育った区別でした。
ギリシャ各地には他にもムーサの聖所があったと伝えられますが、位置を確定できる資料は見つかりませんでした。
ムーサの聖域(ムーサのせいいき)
ヘシオドスが歌ったムーサ九柱の聖域
ヘリコン山の北側の谷にひらけた聖域です。ヘシオドスが羊を飼っていたとき、この山でムーサに出会って詩人になったと『神統記』の冒頭に書いています。
九柱はまとめて祀られ、カリオペだけの神殿はここにもありません。 パウサニアスは、聖域に立つ像や、数年ごとに開かれた詩と音楽の競技について記しています。
いま残るのは祭壇と劇場と柱廊の基礎で、山あいの静かな谷になっています。
テスピアイの町の跡が近くにあり、あわせて訪ねられる。
カリオペが現代に残した痕跡
カリオペの名は、音と天体の名として現代に残りました。
蒸気で鳴らす大型楽器の名: 汽笛を並べて鍵盤で鳴らす楽器に、この女神の名が付けられた。外輪船や移動遊園地に据えられ、数キロ先まで音が届いたという。
小惑星カリオペ: 1852年に発見された小惑星22番の名。周囲を回る小さな衛星が見つかっており、その衛星には息子オルフェウスの名が付けられている。
こと座: 息子オルフェウスの竪琴が天に上げられたものとされる星座。夏の空でひときわ明るい星を含む。
文学の女神としての図像: 書字板と尖筆、または巻物を持つ女性像として、図書館や劇場の装飾に置かれてきた。
カリオペが司るもの
詩
叙事詩を受け持つとされる。ただし分担が定まったのは後世の整理による。
雄弁
目を留めた王の舌に甘い露を置き、言葉を蜜のようにするとヘシオドスは書く。
弁論
争いを言葉だけで収める力。詩と弁論はギリシャでは同じ技として扱われた。
正しい統治
人々がその裁きを見つめ、まっすぐな判断が通る王を作る働き。
名を残すこと
歌われた者の名は残る。息子オルフェウスの物語もその形で伝わった。
カリオペが登場するゲーム・アニメ
創作でのカリオペは、本人が動くより「オルフェウスの母」として名が出ることがほとんどです。
原典に台詞がなく、単独の事件も持たないため、姿を借りにくい女神です。一方で「叙事詩の女神」という札は分かりやすいので、文学を象徴する像としては繰り返し使われてきました。
カリオペが登場する絵画・彫刻
ローマ時代のムーサ石棺
九柱を横一列に彫った石棺が各地から出土しています。カリオペは書字板か巻物を持つ姿で、多くは列の端に置かれます。
ラファエロ「パルナッソス」
バチカン宮殿の署名の間に描かれた壁画。アポロンを囲むムーサたちのなかに、この女神も描かれています。
カリオペが登場する文学
叙事詩の冒頭の呼びかけ
ローマ以降の叙事詩では、九柱ではなくカリオペひとりに呼びかけて歌い出す例が増えます。
オルフェウスを扱う作品
冥界下りの物語が語られるとき、母としてこの女神の名が添えられます。
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カリオペについてよくある質問
カリオペはどんな神ですか。
ムーサ九柱の筆頭で、ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの娘です。名は「美しい声」を意味します。後世の整理では叙事詩を受け持つとされ、ヘシオドスは王に弁舌を授ける女神として書いています。
オルフェウスの母はカリオペですか。
そう伝えられます。父はトラキア王オイアグロスとする説と、アポロンとする説があります。九柱のうち、これほど知られた子を持つのはこの女神だけです。
ムーサの担当はいつ決まったのですか。
ローマ時代以降の整理です。ヘシオドス『神統記』は九柱の名を並べるだけで、担当も持ち物も書いていません。九柱はまとめて歌う一団として描かれています。
カリオペは何を持って描かれますか。
蝋を塗った書字板と尖筆、または巻物です。叙事詩は本来口で語られるものでしたから、書く道具を持たせるのは後代らしい発想です。
カリオペを祀った神殿はありますか。
この女神ひとりを祀った神殿は確かめられませんでした。九柱そろってのムーサの聖域で祀られ、ボイオティア地方ヘリコン山麓のムーサの谷にその遺構が残ります。
カリオペと併せて覚えたい言葉・用語
ムーサ(Μοῦσαι)
学問と芸術を司る九人の女神。英語ではミューズ。museum(ムーサの神域)と music(ムーサの技)の語源。