本文へ移動

ギリシャ神話

エウテルペとは何の神様か|家系図・物語・祀った神殿

Εὐτέρπη  / エウテルペ

原初の神

二本の葦笛を持つムーサ。名は「よく楽しませる者」。

エウテルペとは何の神様か

エウテルペはひとことで言えば楽しませる女神です。

ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの娘で、九柱のムーサの一柱。名は「よく」と「楽しませる」を合わせた語で、そのまま聞く者を喜ばせる者を意味します。

後世の整理では笛の音楽を受け持ち、二本を同時にくわえて吹く葦笛アウロスを持った姿で描かれます。この分担はローマ時代以降のもので、ヘシオドスの段階では九柱はまとめて歌う一団でした。

注意したいのは、この楽器がギリシャで微妙な立場にあったことです。竪琴は貴い楽器、笛はやや卑しい楽器という区別がありました。

吹けば頬がふくらみ、顔がゆがむ。 そして吹いている間は、歌えない。

アテナがこの笛を作りながら投げ捨てたのは、そのためだと語られます。九柱のなかで、この女神だけが「格の低い楽器」を割り当てられたことになります。

エウテルペのギリシャ名・ローマ名と読み方

古代ギリシャ語では Εὐτέρπη。日本語では「エウテルペ」または「エウテルペー」と書きます。

名の後半にある語は「楽しませる」「満足させる」を意味し、舞踊の女神テルプシコレの名にも同じ語が入っています。姉妹二柱の名が、同じ「楽しませる」から作られていることになります。

前半の「エウ」は「よい」「うまく」を表す接頭語で、良い秩序を意味するエウノミアや、喜びを意味するエウプロシュネにも同じ形が付いています。

この名は、ギリシャ人が音楽に何を求めたかをよく示しています。技の正確さでも、神への畏れでもなく、まず「楽しませること」でした。

現代には、南アメリカ原産のヤシの一群にこの名が付けられました。植物の学名として、女神の名がそのまま生きている例です。

Εὐτέρπη(エウテルペ)

古代ギリシャ語の表記。「よく」を意味する接頭語と「楽しませる」を意味する語からできている。

エウテルペー(エウテルペー)

長音を残した学術的な表記。

ユーテルペ(ユーテルペ)

ラテン語を経た読みにもとづく表記。音楽史の書物ではこの形も見られる。

アウロスのムーサ(アウロスのムーサ)

持ち物にちなむ呼び方。アウロスは二本の管を同時に吹く葦笛で、日本語では「複管の笛」と説明される。

エウテルペの物語

  1. 笛は誰のものか ─ 捨てられた楽器の物語
  2. 整理の表からこぼれるもの ─ 抒情詩か、笛か
  3. トラキアの王を生んだ女神 ─ 割れている系譜

笛は誰のものか ─ 捨てられた楽器の物語

アウロスは、二本の管を同時に口にくわえて吹く葦笛です。祭りでも、悲劇の合唱でも、軍隊の行進でも鳴らされました。

ところがこの楽器には、はっきりした負の物語が付いています。

アテナがこれを作って吹いた。 水面に映った自分の顔がゆがんでいた。 女神は笛を投げ捨て、拾う者に呪いをかけた。

拾ったのは、サテュロスマルシュアスでした。上達した彼はアポロンに音の勝負を挑み、負けて生きたまま皮を剥がれます。

笛の名手になった者は、ひどい終わり方をする。 それがギリシャの語り口でした。

背景には、楽器の格付けがあります。竪琴は弾きながら歌えるので言葉を伴う楽器、笛は口をふさぐので言葉を奪う楽器とされました。プラトンは理想の国から笛を追い出そうとさえしています。

そのアウロスを持たされたのが、九柱のなかのエウテルペです。格の低い楽器に、楽しませる名の女神が結び付けられたという配置になっています。

整理の表からこぼれるもの ─ 抒情詩か、笛か

エウテルペの担当は、書物によって少しずつ違います。とするもの、抒情詩とするもの、音楽全般とするもの。一つに定まっていません。

理由は、九柱の分担がもともと決まっていなかったからです。

ヘシオドスは名を九つ並べただけで、 誰が何を受け持つとは一言も書いていない。

担当の一覧が固まるのはローマ時代以降で、それも一通りではありませんでした。古代の著作家が挙げる担当の表は、いくつも並行して伝わっています。

実際、九柱のうちで担当が揺れやすいのは、エウテルペ、テルプシコレ、エラトポリュヒュムニアの四柱です。いずれも歌・踊り・笛・恋の詩という、区別の付けにくい領分に置かれています。

一方、はっきりしているのは、天文のウラニアと歴史のクレイオです。持ち物が特徴的で、他と混ざりようがないからです。

分担の一覧は、覚えるための道具であって、古代の信仰そのものではありません。 エウテルペを読むときは、この揺れごと引き受けるのがよいと思います。

トラキアの王を生んだ女神 ─ 割れている系譜

エウテルペには、子をめぐる伝えがあります。トラキアの河神ストリュモンとの間に生まれたとされる王レソスです。

レソスは『イリアス』第10歌に出てきます。トロイア側の援軍として来て、その夜のうちにオデュッセウスとディオメデスに寝込みを襲われ、雪より白い名馬を奪われました。

来た夜に討たれ、馬だけを取られた王。

この王の母をムーサの一柱とする伝えは古くからあります。ただし、どの一柱かは書物によって違い、エウテルペ、カリオペ、テルプシコレの名が挙がります。

『イリアス』本文は母の名を書きません。母をムーサとするのは後代の伝えです。

ここでも、エウテルペの記録の薄さが表れています。名前は九柱の一つとして必ず数えられるのに、単独の物語はほとんど伝わっていません。

記録が少ない理由は、おそらく祭祀の形にあります。ムーサは九柱そろって祀られました。個別の物語を必要とする場面が、そもそも無かったのです。

エウテルペの家系図と家族

エウテルペの親: ムネモシュネ記憶の女神が生んだ九柱の一人ゼウスムーサ九柱の父

エウテルペのきょうだい: クレイオムーサ九柱のきょうだいタレイアムーサ九柱のきょうだい

エウテルペの性格と人物像

エウテルペには、性格を語れる場面がほとんどありません。

怒った記録も、恋をした記録も、誰かを罰した記録もありません。九柱そろっての行いとしてなら、タミュリスを盲目にし、ピエリデスをカササギに変えていますが、この女神ひとりの行動としては何も書かれていません。

残っているのは名前持ち物だけです。しかしその二つが、はっきりした像を作っています。

名は「よく楽しませる者」。持ち物は、頬をふくらませて吹く笛。上品ではないが、人を浮き立たせる。 この組み合わせは、九柱のなかで明らかに一つの方向を向いています。

姉妹たちが背負う領分を並べてみると、この特徴はさらにはっきりします。歴史は残すこと、天文は測ること、悲劇は嘆くこと。そのなかで、この女神だけが「その場を楽しくすること」を割り当てられています。

祭りの列を先導し、宴の音を作り、悲劇の合唱に伴奏する。どれも、主役ではありません。

目立たないが、無いと場が始まらない。 記録が薄いこと自体が、この女神の働きの性質をよく表しているように思えます。

エウテルペを祀った神殿と遺跡

エウテルペひとりを祀った神殿は確かめられませんでした。 ムーサは九柱そろって祀られるのが古代の形です。

代表となるのが、ボイオティア地方ヘリコン山麓のムーサの谷です。祭壇・劇場・柱廊の跡が残り、数年ごとに詩と音楽の競技が開かれました。

笛の演奏そのものは、ムーサの聖域よりもディオニュソスの祭りや軍の場面で盛んでした。 楽器と女神の結びつきは、祭祀ではなく図像のなかで固まったものです。

ギリシャ各地に他のムーサの聖所も伝わりますが、位置を確定できる資料は見つかりませんでした。

ムーサの聖域(ムーサのせいいき)

ヘシオドスが歌ったムーサ九柱の聖域

地図で開く

ムーサの聖域の住所: ギリシャ ボイオティア地方 ヘリコン山麓 ムーサの谷

ムーサの聖域の祀られた神: ムーサ九柱

ムーサの聖域に残るもの: 祭壇・劇場・柱廊の跡

ヘリコン山の北側の谷にひらけた聖域です。九柱はここでまとめて祀られました。

聖域には劇場があり、数年ごとに詩と音楽の競技が開かれたとパウサニアスは記しています。笛の演奏もその演目に含まれていたと考えられます。

エウテルペひとりを祀った祭壇は、この聖域にも伝わっていません。

古代の町テスピアイの跡が近くにある。

現地ツアーをさがす

ボイオティアの現地ツアーや入場券を探せます。

広告を含みます

エウテルペが現代に残した痕跡

エウテルペの名は、植物と天体の名として現代に残りました。

ヤシの一群の学名: 南アメリカ原産のヤシの仲間に、この女神の名が属名として付けられている。実は飲み物や食品として広く使われる。

小惑星エウテルペ: 1853年に発見された小惑星27番の名。

音楽の寓意像: 二本の笛を持つ女性像は、音楽そのものを表す図像として劇場や音楽堂の装飾に使われてきた。

ヘロドトスの巻の名: 『歴史』全九巻に付けられたムーサの名のうち、エジプトを扱う第二巻がこの女神の名を負う。

エウテルペが司るもの

音楽

笛の音楽を受け持つとされる。祭り・宴・軍の行進で鳴らされた楽器である。

喜び

名がそのまま「よく楽しませる者」を意味する。

詩と歌

抒情詩を受け持つとする伝えもあり、担当は書物によって揺れる。

合図と音楽

アウロスは祭りの行列や軍の歩調を合わせるためにも吹かれた。

エウテルペが登場するゲーム・アニメ

エウテルペが単独の登場人物になる創作は、ほとんどありません。 原典に事件も台詞も無いためです。

代わりに、名前と持ち物だけが独立して使われます。二本の笛を持つ女性像は、音楽そのものを表す看板として長く使われてきました。

エウテルペが登場する絵画・彫刻

ローマ時代のムーサ像群

二本の笛を手にした立像として、九柱そろいの彫刻群に置かれます。持ち物だけが見分けの手がかりです。

ヘルクラネウム出土の壁画

火山灰に埋もれた町から、ムーサを一柱ずつ描いた壁画が見つかっています。笛を持つ姿もその一つです。

エウテルペが登場する音楽・創作

音楽団体・音楽堂の名

楽団や音楽ホールの名にこの女神の名が使われる例があります。

ムーサを主題にした組曲

九柱を並べて描く器楽作品では、笛の音色がこの女神に割り当てられます。

Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。

エウテルペについてよくある質問

エウテルペはどんな神ですか。

ムーサ九柱の一柱で、ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの娘です。名は「よく楽しませる者」を意味し、後世の整理では笛の音楽を受け持つとされます。

エウテルペの持つ笛はどんな楽器ですか。

アウロスという葦笛です。二本の管を同時に口にくわえて吹きます。祭りや宴のほか、悲劇の合唱の伴奏や軍の行進でも鳴らされました。

ギリシャで笛の評価が低かったのは本当ですか。

竪琴と比べれば低く見られていました。吹くと顔がゆがみ、口がふさがって歌えないためです。アテナが作った笛を投げ捨てたという話は、その感覚を物語にしたものです。

ムーサの担当は書物によって違うのですか。

違います。担当の一覧はローマ時代以降の整理で、複数の系統が並行して伝わりました。とくにエウテルペ・テルプシコレ・エラト・ポリュヒュムニアの四柱は揺れが大きい部分です。

エウテルペを祀った神殿はありますか。

この女神ひとりを祀った神殿は確かめられませんでした。九柱そろってのムーサの聖域で祀られ、ボイオティア地方ヘリコン山麓のムーサの谷にその跡が残ります。

エウテルペと併せて覚えたい言葉・用語

ムーサ(Μοῦσαι)

学問と芸術を司る九人の女神。英語ではミューズ。museum(ムーサの神域)と music(ムーサの技)の語源。