伊勢神宮内宮の神庭を守る神。所管社の第四位にあたる。
ヤノハハキとは何の神様か
ヤノハハキはひとことで言えば庭を守る神です。伊勢神宮内宮の御垣内に鎮座する所管社と、その祭神にあたります。
社殿を持たず、御正宮の石階の東側に南を向いて祀られます。
内宮の所管社三十社のうち、滝祭神・興玉神・宮比神に次ぐ第四位。正宮の神庭を守る神とされます。
ヤノハハキの漢字表記と読み方
読みは「やのはひき」です。「ヤ」は屋、「ノ」は格助詞、「ハヒキ」は這い引きとも読めます。
屋のまわりを引き回すもの、つまり垣を指すとする解釈があります。
平安時代末期の文献では「矢乃波々岐神」と記されました。
屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)
伊勢神宮での表記。
矢乃波々岐神(やのははきのかみ)
平安時代末期の文献での表記。
波比伎神(はひきのかみ)
古事記でオオトシの子として記される神。
ヤノハハキの物語
巽の方角に立つ
この神の位置は、方角で決まっています。
巽(南東) ─ 屋乃波比伎神。
乾(北西) ─ 宮比神。
二柱は、御垣内で対角に置かれています。
奉仕する者も分かれていました。
外物忌父ら(荒祭物忌父・滝祭物忌父・風宮物忌父ほか) ─ 屋乃波比伎神に神饌を供する。
内物忌父ら(大物忌父・宮守物忌父・地祭物忌父ほか) ─ 宮比神に神饌を供する。
建久年間(一一九〇年〜一一九八年)の記録に、この分担が残っています。
外物忌父が絶える
この対応は、やがて崩れます。
近世には、外物忌父が絶えた。
奉仕する者がいなくなり、対の構造が意味をなさなくなりました。
そののちは、禰宜らが矢乃箒神祭を奉仕するようになります。
祭りの名が「矢乃箒(やのははき)」であることに注意が必要です。波々岐が箒の字に置き換わっています。
神の名の意味が分からなくなったとき、身近な言葉に引きつけられるという現象が起きています。
神庭を守る
この神が守るのは、正宮の神庭です。
板垣御門の外側に鎮座する。
伊勢神宮の正宮は、四重の垣に囲まれています。
外から 板垣 → 外玉垣 → 内玉垣 → 瑞垣。
この神は、いちばん外側の板垣の外にいます。
興玉神と宮比神が板垣の内にいるのに対し、この神だけが外です。
順位は第四位ですが、守る範囲がいちばん広いともいえます。庭を守るとは、外との境を守ることでもあります。
大年神の子と同じか
この神の正体をめぐって、古事記との対応が指摘されています。
古事記の大年神の系譜に、こうあります。
大年神の子に、庭津日神、阿須波神、波比伎神がいる。
この波比伎神が、屋乃波比伎神と同じであろうというのが櫻井勝之進の見解です。
注目すべきは、並んでいる神の名です。庭津日神は庭の神、阿須波神は足場の神とされます。
いずれも家と土地の神です。神庭を守るという性格と、よく合っています。
ヤノハハキの家系図と家族
ヤノハハキの性格と人物像
ヤノハハキは、境を守る神です。
物語はありません。名の意味さえ、確かではありません。それでも、御正宮の石階の東という位置だけは、平安時代末期から変わっていません。
場所が神である、といってもよいほどです。
奉仕する者が絶え、祭りの名が変わり、名の字も揺れました。それでも社は残りました。位置が信仰を支え続けた例といえます。
ヤノハハキを祀る神社
この神を祀るのは、内宮の御垣内にある所管社です。社殿はなく、石畳の上に祀られます。
板垣御門の外側に鎮座するため、興玉神・宮比神とは垣を隔てています。
式年遷宮で内宮が遷るとき、この社も二十年に一度いっしょに移動します。御垣内には立ち入れないため、参道から遥拝する形になります。
ヤノハハキが現代に残した痕跡
ヤノハハキの名は、祭りの名に残りました。
矢乃箒神祭: 禰宜が奉仕した祭。神名の「波々岐」が「箒」の字に置き換わっている。
波比伎神: 古事記でオオトシの子として記される神。同じ神とされる。
神庭: 正宮の庭。この神が守るとされる場所。
ヤノハハキのご利益
家内安全
神庭と垣を守る神とされることによる。
厄除け
外との境を守ることによる。
ヤノハハキについてよくある質問
ヤノハハキとはどんな神様ですか。
伊勢神宮内宮の御垣内に鎮座する所管社とその祭神です。正宮の神庭を守る神とされ、所管社三十社のうち第四位にあたります。
古事記に出てくる神と同じですか。
古事記にはオオトシの子として波比伎神がいます。櫻井勝之進は同じ神であろうと述べています。
宮比神とはどんな関係ですか。
御垣内で対角に置かれています。この神が巽(南東)、宮比神が乾(北西)にあり、奉仕する物忌父も外と内で分かれていました。