取りついた家を貧しくする神。丁寧に送れば福に転じる。
ビンボウガミとは何の神様か
ビンボウガミはひとことで言えば追い出せるが退治できない神です。取りついた人間やその家族を貧乏にします。
日本各地の昔話、随筆、落語に名が見られます。
神であるため退治はできません。しかし、追い払う方法はいくつも伝えられてきました。
ビンボウガミの漢字表記と読み方
読みは「びんぼうがみ」です。「ビンボウ」は貧乏、「ガミ(神)」は神を指します。
貧乏という語自体、仏教語の「貧」と「乏」を重ねたものです。
福の神と対になる存在として語られます。
曲亭馬琴らの奇談集兎園小説では、窮鬼(きゅうき)という漢語で記されます。鬼と書きながら、神として扱われる存在です。
貧乏神(びんぼうがみ)
一般に用いられる表記。
窮鬼(きゅうき)
兎園小説での呼び名。
ビンボウガミの物語
どんな姿か
この神の姿は、細かく伝えられています。
薄汚れた老人の姿。
痩せこけた体で、顔色は青ざめている。
手に渋団扇を持ち、悲しそうな表情で現れる。
家に憑く際には、押入れに好んで住み着くといいます。
詩人の中村光行によれば、貧乏神は味噌が好物で、団扇を手にしているのはその芳香を扇いで楽しむためだとされます。
どんな姿でも、怠け者が好きであることは変わらないといいます。
追い払う方法
神である以上、退治はできません。しかし、追い払う方法はあります。
新潟 ─ 大晦日の夜に囲炉裏で火を焚くと、熱がって逃げていく。代わりに暖かさを喜んで福の神が来る。
愛媛県北宇和郡津島町 ─ 囲炉裏の火をやたらと掘ると貧乏神が出る。
囲炉裏にまつわる俗信が多く見られます。
ことわざにも残りました。
柿団扇は貧乏神がつく。
渋団扇に貧乏神が憑くという俗信から来た言葉です。
焼き味噌で送り出す
大阪の船場には、明治十年ごろまで貧乏神送りの行事がありました。
毎月末、船場の商人の家で味噌を焼く。
それを皿状にしたものを番頭が持って家々を回る。香ばしい匂いがあちこちに満ちる。
頃合いを見計らって、焼き味噌を二つに折る。
好物の匂いに誘われて出てきた貧乏神を、焼き味噌のなかに閉じ込めるという仕掛けです。
番頭はそのまま焼き味噌を川へ流し、自分も味噌の匂いをしっかり落としてから帰りました。
匂いに憑いて戻ってこられては困るからです。
福に転じる
興味深いのは、追い出すだけではないという点です。
井原西鶴の日本永代蔵の「祈る印の神の折敷」では、貧乏神が貧乏を福に転じる神とされます。
東京都文京区春日、牛天神北野神社の脇に太田神社として祠が祀られている。
祠に願掛けをして貧乏神を一旦家に招き入れ、満願の二十一日目に丁寧に祀って送り出すと、縁が切れるという。
招いてから、丁寧に送る。
室町時代の応仁の乱の記録には、堺の福神が入洛し、京都の貧乏神が堺へ下ったという風説が見えます。神は移動するものでした。
ビンボウガミの家系図と家族
ビンボウガミのきょうだい: ヤソマガツヒともに災いをもたらす神
ビンボウガミの性格と人物像
ビンボウガミは、憎みきれない神です。
痩せこけて、青ざめて、悲しそうな顔で現れます。押入れに住み、味噌の匂いを団扇で扇いで楽しみます。
退治はできません。神だからです。
できるのは、丁寧に送り出すことだけです。招き入れ、二十一日祀って、礼を尽くして帰ってもらう。災いをもたらす相手にも礼を尽くすという考え方が、この神のまわりにはっきり残っています。
ビンボウガミを祀る神社
この神を祀るのは、東京都文京区春日の牛天神北野神社の脇にある太田神社です。
祠に願掛けをして貧乏神を一旦家に招き入れ、満願の二十一日目に丁寧に祀って送り出すと縁が切れるといいます。
東京都台東区の妙泉寺には、貧乏神の石像が祀られています。頭に猿が乗る「貧乏が去る像」と名づけられ、香川県高松市の鬼無駅などにも設置されています。
ビンボウガミが現代に残した痕跡
ビンボウガミの名は、ことわざと行事に残りました。
柿団扇は貧乏神がつく: 渋団扇に貧乏神が憑くという俗信から来たことわざ。
貧乏神送り: 大阪の船場で明治十年ごろまで行われた行事。焼き味噌で送り出す。
日本永代蔵: 井原西鶴の作品。貧乏を福に転じる神として描く。
ビンボウガミのご利益
商売繁盛
丁寧に送り出せば福に転じるとされたことによる。
厄除け
貧乏神と縁を切る願掛けによる。
ビンボウガミについてよくある質問
ビンボウガミとはどんな神様ですか。
取りついた人間やその家族を貧乏にする神です。薄汚れた老人の姿で、渋団扇を持って現れるとされます。
退治できますか。
神であるため退治はできません。ただし、囲炉裏で火を焚く、焼き味噌で送り出すなど、追い払う方法が各地に伝えられています。
祀っている神社はありますか。
東京都文京区春日の牛天神北野神社の脇にある太田神社です。招き入れて二十一日目に丁寧に送り出すと縁が切れるとされます。