霜の巨人の王。雷神の槌を盗み、代価に女神を求めた。
スリュムとは何の神様か
スリュムはひとことで言えばミョルニル?を盗んだ王です。霜の巨人の王で、北欧神話でただ一度、トールの槌を奪うことに成功した存在です。
盗んだ槌を地の底深くに隠し、探しに来たロキへ交換条件を告げました。フレイヤを妻によこせ、と。当のフレイヤは怒って拒みます。
そこで出たのが、番人ヘイムダルの案でした。トールに花嫁衣装を着せて送りこむ。 ロキが侍女に化けて付き添い、花嫁の異様な食欲も、燃えるような目つきも、その場でうまく言いつくろいます。
すっかり信じ込んだこの王は、婚礼の儀式として花嫁の膝にミョルニルを置いてしまいました。 そこで勝負はついています。
伝えているのは古エッダ?の『スリュムの歌』一篇だけです。北欧神話のなかでも、飛び抜けて喜劇的な一篇として知られます。
スリュムの名前の表記と読み方
古ノルド語では Þrymr(スリュム)。日本語ではスリュム、スリュムル、スルュムなどと書かれます。
名は「轟き」「騒音」に通じるとされます。雷神の槌を盗んだ巨人に、音を意味する名が付いているのは偶然ではないかもしれません。
なお、巨人スィアチの館スリュムヘイムとは別ものです。 名の前半が同じため混同されますが、住人も物語も関係がありません。
この巨人を伝える資料は、古エッダの『スリュムの歌』一篇に限られます。スノッリはこの詩を新エッダ?に入れませんでした。スノッリ自身がこの詩を作ったからではないかという見方もあります。
Þrymr(スリュム)
古ノルド語の表記。「轟き」「騒音」に通じるとされる。
Þrymskviða(スリュムスクヴィザ)
『スリュムの歌』。この巨人の物語を伝える古エッダの詩。
Mjǫllnir(ミョルニル)
この巨人が盗んだトールの槌の名。
スリュムの物語
槌が消える ─ 目を覚ますと無い
詩は、トールが目を覚ます場面から始まります。
手元にあるはずのミョルニルがありません。トールは髭を震わせ、髪を振り乱して探します。そしてロキに言いました。
誰も知らぬことを言おう。アース神の槌が盗まれた。
二人はフレイヤのもとへ行き、鷹の羽衣を借ります。ロキがそれをまとって飛び、巨人の国へ向かいました。
塚の上に座って犬の首輪を編んでいたのが、この王です。ロキが用件を告げると、あっさり認めました。八ラスタも地の底に隠した、と。
返す条件は、フレイヤを妻に迎えること。 迷いのない要求でした。
神々の最強の武器が、最初の数十行で失われている。 この詩の運びは異例に速いのです。
拒むフレイヤ ─ 首飾りがはじけ飛ぶ
戻ったロキがフレイヤに伝えると、女神は激怒しました。
フレイヤは鼻息荒く怒り、神々の館は震えた。首飾りブリーシンガメンは、はじけ飛んだ。
拒否です。 巨人の妻になどなるものか、と。
神々は集まって相談しました。誰も名案を出せません。そこで口を開いたのが、虹の橋の番人ヘイムダルでした。
トールに花嫁衣装を着せよう。首には首飾りを、腰には鍵束を、胸には飾りを、頭には花嫁の被り物を。
トールは当然嫌がります。女の格好をさせるのか、と。しかしロキが釘を刺しました。槌が戻らなければ、巨人はすぐにもアースガルズ?に住みつく、と。
トールは折れました。
婚礼 ─ 食べすぎる花嫁
山羊の車に乗った花嫁と侍女が到着すると、この王は大喜びで支度を命じました。自分は宝と牛を数え上げ、足りないのはフレイヤだけだと満足します。
宴が始まりました。ところが花嫁は、牛を一頭、鮭を八匹、女たちの分の菓子をすべて平らげ、蜜酒を三樽飲みます。
王は驚きました。すかさず侍女が答えます。
花嫁は八夜のあいだ何も食べていません。あなたに会いたい一心で。
次に王が被り物の下をのぞくと、燃えるような目とぶつかって飛びのきました。侍女がまた答えます。八夜眠っていないのです、と。
その場しのぎの言い訳が、ことごとく通ってしまいます。
神話でもっとも有名な喜劇の場面です。
膝の上の槌 ─ 一瞬で終わる
王は姉を呼び、花嫁に贈り物をねだらせました。姉は持参金を要求します。
そして王は、婚礼を清める儀式を命じました。
花嫁の膝にミョルニルを置き、二人を祝福せよ。
槌が手元に来た時点で、勝負は終わっています。
トールは心のうちで笑い、槌をつかんで振り上げました。
王は最初に殴り殺されました。巨人たちも次々に倒されます。持参金を求めた姉も、同じ最期をたどりました。
六十行かけて用意された笑いが、数行で終わります。 この詩の切れ味は、そこにあります。
盗んだ武器を自分から相手に渡してしまう。この王の敗因は、儀式を守ったことでした。
スリュムの家系図と家族
スリュムの性格と人物像
スリュムは、礼儀正しい悪役です。
槌を盗んだあと、暴れていません。神々を襲ってもいません。塚の上に座って犬の首輪を編み、訪ねてきたロキに正直に事情を話します。
要求もはっきりしています。フレイヤを妻に、それだけです。交渉できる相手として振る舞っています。
婚礼の支度も丁寧でした。宝を数え、牛を数え、足りないのはフレイヤだけだと言う。手に入れたら満足するつもりだったように読めます。
負けたのは、疑わなかったからです。食べすぎる花嫁も、燃える目も、侍女の言葉で納得しました。
そして最後に、自分から槌を差し出します。 婚礼を清める儀式として、正しい手順を踏んだ結果です。
規則を守る者が、規則を守らない者に負ける。 この詩の笑いは、そこから来ています。神々の側は、女装も嘘も何でも使いました。
スリュムゆかりの地と遺跡
この巨人を祀った場所は見つかっていません。 巨人は祀られる側ではありませんでした。
物語のうえでの居場所は巨人の国ヨトゥンヘイムですが、地上のどこかに比定できる土地ではありません。なお、巨人スィアチの館スリュムヘイムとは名が似ているだけで別ものです。この巨人の名を含む地名は確認できていません。
スリュムが現代に残した痕跡
この巨人の名は、一篇の詩と、近代に付けられた天体の名に残りました。
『スリュムの歌』: この巨人を伝える唯一の資料。古エッダの王の写本に収められている。北欧神話でもっとも喜劇的な一篇として読み継がれてきた。
衛星スリュムル: 土星をめぐる衛星のひとつに、この巨人にちなむ名が付けられている。北欧神話の巨人にちなむ名を集めた一群に含まれる。
女装するトール: 雷神が花嫁の衣装をまとう場面は、絵画や現代の作品で繰り返し取り上げられてきた。北欧神話の図像でよく知られた主題のひとつ。
スリュムが司るもの
力
神々の最強の武器を奪うことに成功した唯一の巨人として語られる。
財産
宝石と金銀、黄金の角を持つ牛を蓄えた王として描かれる。
スリュムについてよくある質問
スリュムとは誰ですか。
霜の巨人の王です。トールの槌ミョルニルを盗み出し、返す条件として女神フレイヤを妻に要求しました。
どうやって槌を取り返したのですか。
ヘイムダルの案で、トールに花嫁衣装を着せて送りこみました。ロキが侍女に化けて付き添い、婚礼の儀式として花嫁の膝に置かれた槌をトールがつかみ、その場で巨人たちを倒しました。
フレイヤは行かなかったのですか。
拒みました。話を聞いた女神は激しく怒り、その息で首飾りブリーシンガメンがはじけ飛んだと歌われます。
なぜ新エッダに載っていないのですか。
スノッリはこの詩を新エッダに入れませんでした。理由ははっきりしませんが、スノッリ自身がこの詩を作ったからではないかとする見方もあります。
スリュムと併せて覚えたい言葉・用語
ミョルニル(Mjölnir)
トールの槌。投げれば必ず手に戻る。小人が作ったが、ロキの妨害で柄が短くなった。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。
アースガルズ(Ásgarðr)
アース神族が住む神々の国。虹の橋ビフレストで地上とつながる。