流木から作られた最初の人間の男女。すべての人類の祖。
アスクとエムブラとは何の神様か
アスクとエムブラはひとことで言えば最初の人間です。男がアスク、女がエムブラ。すべての人類の先祖とされます。
作られ方が独特です。神々が浜辺を歩いていて、流木を二本拾った。それに人の形を与え、息を吹きこんだ。土からでも、神の血からでもなく、打ち上げられた木から始まっています。
与えられたものは一つずつ数え上げられます。息吹、心、言葉と感覚、体温と血の色。人が人であるために何が要るのかを、神話が分解して並べている場面です。
二人はミズガルズ、つまり人間の世界に住みました。以後の物語で二人が再び出てくることはありません。役目は、始めることだけでした。
アスクとエムブラの名前の表記と読み方
アスク(Askr)は、古ノルド語でそのままトネリコを指す語です。世界樹ユグドラシル?もトネリコとされており、この神話で最も重い木でした。
エムブラ(Embla)のほうは、はっきりしません。ゲルマン祖語の形が ambilon であったとすれば、つた植物を意味する語だっただろうと考えられています。ニレの木とする訳も広く行われてきました。
二人の頭文字が旧約聖書のアダムとイブに揃っていることは、古くから指摘されてきました。ただし研究者のシーグルズル・ノルダルは、これはまったくの偶然だろうと考えています。 名の由来をたどると、そちらの物語とは別の方向へ行き着くためです。
Askr(アスク)
古ノルド語の表記。そのまま樹木のトネリコを意味する語である。
Embla(エムブラ)
古ノルド語の表記。語源は定まっていない。つた植物を指す語だったとする説がある。
Askr ok Embla(アスク・オク・エムブラ)
二人を並べて呼ぶ形。「オク」は「と」にあたる語。
アスクとエムブラの物語
流木を拾う ─ 新エッダの語り
もう一つの伝え ─ 『巫女の予言』の三柱
古エッダ?『巫女の予言』は、違う顔ぶれを挙げます。オーディンとともに立ったのはヘーニルとローズルでした。
ヘーニルは二人に心を与え、ローズルは生命の暖かさと良い姿を与えたとされます。オーディンだけが両方の伝えに共通しています。
どちらが古いのかは決着していません。ただしスノッリは『巫女の予言』を読んでいたはずですから、承知のうえで顔ぶれを入れ替えた可能性があります。 ヘーニルはヴィリの別名だったのではないか、という見方も出されています。
硬い木と柔らかい木 ─ 名に隠れた火の起こし方
名の意味をたどると、思いがけない話に行き着きます。
昔、火を起こすときは硬い木で作った棒を、柔らかい木の切り株にあてて錐もみしました。トネリコは硬く、つた植物は柔らかくて火がつきやすい。
シーグルズル・ノルダルは、ここから命も二種の木の交わりから生まれるという考えが生じたのではないかと述べています。最初の男女の名に、火起こしの古い民間信仰が潜んでいる、という読み方です。
確かめようのある話ではありません。しかし、なぜよりによって木から人が作られたのかを、この説はよく説明します。
そのあと ─ 語られないことの意味
二人が何をしたのか、どこで暮らし、どのように死んだのかは、まったく伝わっていません。子の名すら残っていません。
これは記録が失われたというより、もともと語る必要がなかったからだと考えられます。人類の祖であることが決まれば、あとは今生きている人間が続きだからです。
物語の反対側には、ラグナロク?を生き延びるリーヴとリーヴスラシルが置かれています。木から始まり、木の中に隠れて生き延びる。 人の始まりと続きが、同じ材料で語られています。
アスクとエムブラの家系図と家族
アスクとエムブラの子・子孫: リーヴとリーヴスラシル人の始まりと、生き残った人
アスクとエムブラの性格と人物像
アスクとエムブラは、性格を持たない登場人物です。台詞もなく、行いもありません。
それでもこの二人が神話の骨格に関わるのは、人間がどう位置づけられているかをここで決めているからです。
神々の血からは生まれていません。土からでもありません。海に流れ着き、誰にも顧みられずに転がっていた木です。そこに神が息を入れたところから、人間が始まります。
人は、材料としては大したものではない。しかし与えられたものは一つずつ数えられていて、そのどれが欠けても人にならない。素材の平凡さと、中身の細かさ。 その落差が、この短い場面をよく読まれるものにしています。
アスクとエムブラゆかりの地と遺跡
この二人を祀った場所は見つかっていません。 人類の祖ではありますが、祈りの対象として扱われた記録は残っていません。
ゆかりのものを探すなら、社ではなく木になります。アスクの名が指すトネリコは、世界樹ユグドラシルと同じ木とされ、北欧では特別な扱いを受けてきました。ただし、特定の土地の一本を二人と結びつける伝承は確認できていません。
アスクとエムブラが現代に残した痕跡
二人の名は、木の名として、また人の名として北欧に残りました。
アイスランド語の askur: トネリコを指す語。アスクの名はこの木の名そのものである。
人名アスケル、アスク: トネリコに由来する男性名として北欧に広く分布し、いまも使われている。
女性名エムブラ: ノルウェーやアイスランドで女性名として用いられている。神話から直に取られた名である。
アスクとエムブラが司るもの
人間の創造
流木から人の形を与えられ、すべての人類の祖となったとされる。
生命
神々から息吹と心と体温を与えられて生きる者になった、という筋による。
物事の始まり
人の世の出発点として語られる二人であるため。
アスクとエムブラについてよくある質問
アスクとエムブラは何から作られたのですか。
浜辺に流れ着いた二本の流木です。アスクはトネリコ、エムブラはつた植物、あるいはニレを指す名と考えられています。
作ったのは誰ですか。
書物で食い違います。新エッダはオーディンと兄弟のヴィリ・ヴェー、古エッダ『巫女の予言』はオーディンとヘーニルとローズルとします。
アダムとイブと関係がありますか。
頭文字が揃っていることは古くから指摘されてきましたが、シーグルズル・ノルダルはまったくの偶然だろうと考えています。名の由来は木と火起こしの側へたどれます。
二人のその後は伝わっていますか。
伝わっていません。ミズガルズに住み、すべての人類の祖になったとされるだけで、子の名も最期も残っていません。
アスクとエムブラと併せて覚えたい言葉・用語
ユグドラシル(Yggdrasill)
世界を貫いて立つ巨大な樹。三つの根がそれぞれ別の世界へ伸び、その根元に泉がある。
新エッダ(しんエッダ)
1220年頃にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが著した散文の書。神話を体系的に整理しており、現在の北欧神話の理解はこの書に多くを負う。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。
ラグナロク(Ragnarök)
北欧神話の終末。神々と巨人が戦い、双方がほぼ全滅して世界が焼け落ち、海に沈む。そののち新しい大地が浮かび上がる。