正しい思慮の女神。大敗の直後、思慮を欠いた反省として神殿が誓われた。
メーンスとは何の神様か
メーンスはひとことで言えば正しい思慮を神にしたものです。心のはたらき、判断する力を指す語が、そのまま女神になっています。
この女神は、立てられた事情がはっきりしています。前217年、トラシメヌス湖畔でローマ軍はハンニバルに大敗しました。執政官フラミニウスは戦死し、軍は壊滅します。
敗戦のあと、シビュラの書が調べられました。
その指示によって、カピトリーノの丘に神殿が誓われます。奉献は前215年。同じ年にユウェンタース(若さ)の神殿も建てられました。
要点は、ローマ人が敗因をどこに置いたかです。執政官が思慮を欠いたことが原因とされ、その欠けた徳が神として立てられました。
祭日は6月8日。ただし、その後の記録はほとんど残っていません。どんな儀式が行われたのか、神像がどんな姿だったのかもわかっていません。神殿がカピトリーノの丘のどこにあったのかも特定されていません。
神殿を建てたところまではわかるのに、そこで何が行われたかがわからない神です。
メーンスのローマ名・ギリシャ名と読み方
日本語では「メンス」「メーンス」の両方が見られます。どちらも定着した形とは言えず、資料によって揺れます。
この語は、心のはたらきのうち考える側を指します。感情や気分ではなく、判断する力のほうです。
日本語では「思慮」「知性」「心」のいずれかが当てられます。
近代の諸言語で精神や心理を指す語は、この語から出ています。
ローマではメーンス・ボナ、すなわち「善き思慮」という形で呼ばれました。心があること自体ではなく、正しく判断できることを神にしたためです。
ギリシャ側に対応する神は立てられていません。この女神は、敗戦を説明するためにローマが作った神です。そのため、名の訳し方も資料によって分かれたままになっています。
Mens(メーンス)
ラテン語の主格。属格はメンティスとなる。心、知恵、判断する力を指す語で、感情ではなく考えるはたらきのほうを表す。
Mens Bona(メーンス・ボナ)
善き思慮という意味。単に心があることではなく、正しく判断できることを指す言い方で、この女神を呼ぶときに用いられた。
Aedes Mentis(アエデース・メンティス)
メーンスの神殿を指す言い方。前215年にカピトリーノの丘に奉献され、ユウェンタースの神殿と同じ年に建てられた。
メーンスの物語
トラシメヌス湖畔 ─ 神殿が誓われた敗戦
前217年6月、ローマは大きな敗北を喫しました。
トラシメヌス湖のほとりで、執政官ガイウス・フラミニウスの軍がハンニバルの伏兵にかかったのです。
霧の深い朝でした。
湖と丘に挟まれた細い道を行軍していたところを、両側と後方から一斉に襲われました。逃げ場がなく、多くの兵が湖に追い込まれます。フラミニウス自身も戦死しました。
この敗北は、ローマにとって二重の打撃でした。軍を失っただけでなく、なぜ負けたのかを説明できなかったのです。
ローマ人の説明はこうなりました。フラミニウスは出陣の前に不吉な前触れを無視し、正式な手続きを踏まずに軍を進めた。神々への手続きを軽んじ、思慮を欠いていた。
敗因を装備でも兵の数でもなく、指揮官の判断そのものに置いたところが、この神殿の出発点です。
シビュラの書 ─ 誰が神殿を決めたのか
大きな災いがあると、ローマはシビュラの書を開きました。
これはクーマエの巫女から買ったと伝えられる神託の書物で、カピトリーノの丘に保管されていました。開くには元老院の議決が要り、専任の官が読み解きます。
書物は、何をすればよいかを指示します。
トラシメヌスの敗戦のあと、この書が調べられ、その指示によってメーンスの神殿が誓われました。誓ったのはティトゥス・オタキリウス・クラッススとされます。
奉献されたのは前215年です。同じ年、ユウェンタース(若さ)の神殿も建てられました。
二つの神殿が同時に建ったことには意味があります。ローマは兵を大量に失い、若い世代を新たに徴募していました。思慮と若さ。足りないものが、そのまま神殿になっています。
神殿はカピトリーノの丘に置かれました。ただし、丘のどこであったかは特定されていません。
思慮を神にするということ ─ 敗因の置きどころ
メーンスの神殿は、ローマの神々の作り方をよく示しています。
足りないものを神にする。 これがローマのやり方でした。
平和が無いとき、平和の神殿が建ちます。
思慮が足りなかったとき、思慮の神殿が建ちます。
ここには実際的な効き目があります。敗因を「思慮を欠いたこと」と名指しし、その徳に神殿を建てれば、次の指揮官は手続きを踏まざるを得なくなります。
実際、この直後にローマは戦い方を変えました。ファビウス・マクシムスが独裁官となり、決戦を避けて敵を消耗させる方針をとります。慎重に過ぎるとして「ぐずぐず屋」と呼ばれましたが、この方針がローマを立て直しました。
神殿は、方針の転換を目に見える形にしたとも読めます。
ただし、この読み方は後世のものです。当時のローマ人がそこまで考えていたかどうかは、わかりません。
なぜ記録が少ないのか ─ 消えた神殿
メーンスについてわかっているのは、ここまでです。
祭日が6月8日であること。前215年にカピトリーノの丘に奉献されたこと。 それ以外は、ほとんど残っていません。
どんな儀式が行われたのか、わかっていません。
神像がどんな姿だったのかも、わかっていません。
理由はいくつか考えられます。
第一に、危機に応じて建てられた神だという点です。ハンニバルとの戦いが終われば、この神殿を建てた理由も薄れます。
第二に、貨幣に刻まれなかったことです。パークスやスペースは貨幣を通じて図像が残りましたが、メーンスにはそれがありません。
第三に、カピトリーノの丘は火災と建て替えを繰り返したことです。小さな神殿の記録は、その過程で失われやすくなります。
わからないことを、わからないままにしておく。 この神については、それが正確な書き方になります。
メーンスの家系図と家族
メーンスの性格と人物像
メーンスは、ローマがもっとも正直だった瞬間に生まれた神と言えます。
敗因を敵の強さでも運の悪さでもなく、自分たちの指揮官の判断に置きました。そのうえで、欠けていた徳に神殿を建てています。
負けた理由を、自分たちの側に探しました。
抽象概念の神のなかでも、この作られ方は際立っています。パークスやウィクトリアが得たものを祝う神であるのに対し、メーンスは失ったものを埋める神です。
研究の上では、この神は危機のときにローマがどう振る舞ったかを示す事例として引かれます。シビュラの書を開き、神殿を誓い、方針を変える。一連の動きが記録に残っている数少ない例です。
神殿がユウェンタース(若さ)の神殿と同じ年に建てられたことも示唆的です。思慮と若さ。ハンニバル戦争のローマに足りなかったものが、そのまま二つの神殿になっています。
一方で、神そのものの中身は空に近いままです。姿も、儀式も、伝わっていません。
メーンスを祀った神殿と遺跡
メーンスの神殿がカピトリーノの丘にあったことは、古代の記録から確かめられます。
ただし、丘のどこにあったのかは特定されていません。 ユーピテルの大神殿の近くと伝えられるだけで、遺構と結びつける決め手がありません。
住所の欄には、丘そのものの座標を使っています。
丘の上は中世以降に建物が重なり、古代の地面がほとんど残っていません。小さな神殿ほど、位置がわからなくなっています。
このほかにローマ市内・市外を通じて、この女神を祀った施設の記録は見あたりません。神殿は一つだけだったとみられます。
メーンスの神殿(Aedes Mentis)
敗戦のあとに誓われた神殿
メーンスの神殿の住所: イタリア ローマ カピトリーノの丘(北緯41.8926 東経12.4822)
メーンスの神殿の祀られた神: メーンス・ボナ
メーンスの神殿に残るもの: 地上に残っていない
メーンスの神殿のご利益: 正しい判断
前217年のトラシメヌス湖畔の敗戦のあと、シビュラの書の指示によって誓われた神殿です。奉献は前215年で、ユウェンタースの神殿と同じ年にあたります。
祭日は6月8日と伝えられます。
その後の記録はほとんど残っていません。 どんな儀式が行われたのか、神像がどんな姿だったのかもわかっていません。丘のどこにあったのかも特定されていません。
カピトリーノの丘。ユーピテルの大神殿の近くと伝えられるが、位置は確定していない。
メーンスが現代に残した痕跡
メーンスの名は、近代の語と危機のときの祭祀の記録として残りました。
精神を意味する語: ヨーロッパの諸言語で心や精神のはたらきを指す語が、この女神と同じラテン語から出ている。
シビュラの書の記録: 危機のときに神託の書を開き、神殿を誓うという手順の実例として、この神殿がしばしば引かれる。
トラシメヌス湖畔の戦い: 前217年の大敗。この敗戦がなければ神殿は建たなかった。湖の北岸に古戦場の道が整えられている。
足りないものを神にする形: ローマが危機のたびに欠けた徳へ神殿を建てた例として、研究で繰り返し取り上げられる。
メーンスが司るもの
正しい判断
慌てず筋道を立てて考えることを司るとされた女神。
過ちを繰り返さないこと
敗戦のあとに誓われた神殿として、反省を形にする役目を負った。
手続きを守ること
出陣前の儀礼を軽んじたことへの戒めとして立てられた。
メーンスが登場するゲーム・アニメ
メーンスは、創作に登場することがほとんどありません。
資料が乏しく、姿も定まっていないためです。物語を持たない抽象概念の神のなかでも、とくに手がかりが少ない一柱です。
絵にしようにも、決まった持ち物がありません。
そのため近世以降の寓意画では、思慮を表す像は鏡や蛇を持つ姿で描かれますが、これはローマのこの女神から直接受け継いだものではありません。
歴史を扱う書物では、神そのものより神殿が建てられた事情のほうが繰り返し語られています。
メーンスが登場する図像・貨幣
徳の擬人像
思慮を表す女性像として、寓意像を並べた図像集に組み込まれます。
思慮の寓意
鏡や蛇を持つ女性像が、判断力の象徴として描かれてきました。
メーンスが登場する文学・歴史
ハンニバル戦争の記述
敗戦後の神殿建立が、危機への対応の一例として語られます。
ローマ祭祀の研究書
足りない徳を神にする形の代表例として取り上げられます。
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メーンスについてよくある質問
メーンスはどんな神ですか。
正しい思慮を神としたローマの女神です。前217年のトラシメヌス湖畔の敗戦のあと、シビュラの書の指示によって神殿が誓われ、前215年にカピトリーノの丘へ奉献されました。
なぜ敗戦のあとに思慮の神殿が建てられたのですか。
ローマ人が敗因を、執政官が出陣前の手続きを軽んじ思慮を欠いたことに求めたためです。欠けていた徳に神殿を建てるのは、ローマの神々の作り方によく見られる形です。
なぜ記録が少ないのですか。
危機に応じて建てられた神であり、戦が終わると理由が薄れたこと、貨幣に刻まれず図像が残らなかったこと、カピトリーノの丘が火災と建て替えを繰り返したことが重なったためとみられます。
神殿の場所はわかっていますか。
カピトリーノの丘にあったことは記録から確かめられますが、丘のどこにあったのかは特定されていません。地上に遺構も残っていないため、位置の決め手がありません。