海の巨人。神々に宴を開き、溺れ死んだ者を迎え入れる。
エーギルとは何の神様か
エーギルはひとことで言えば海そのものの巨人です。波しぶきを思わせる白髪・白髭の姿とされ、名は「迎え入れる者」に由来すると解されます。
この存在の位置は独特です。巨人でありながら、神々のために酒宴を催します。 神々と戦う側の血を引きながら、ラグナロク?でも神々と戦わないようです。
もうひとつ、暗い顔があります。戦って死んだ者がオーディンのもとへ行くのに対し、海で溺れ死んだ者は、この巨人のもとへ行くとされました。 船に噛みついて壊すとも言われ、詩には「エーギルのあぎと」という言い回しがあります。
妻は網で難破者を引きこむラーン。二人のあいだには九人の娘があり、「波の乙女」と呼ばれます。
同じ海の神でも、ニョルズとは受け持ちが違います。ニョルズが港と漁の神であるのに対し、こちらは外海です。人に容赦しない自然のほうを担っています。
エーギルの名前の表記と読み方
古ノルド語では Ægir(エーギル)。語源は「迎え入れる者」と解されます。溺れた者を受け入れるという役目に、そのままつながる名です。
『ロキの口論』の冒頭には「別名ギュミルとも呼ばれるエーギル」と書かれています。ところが、豊穣神フレイの妻となる巨人ゲルズの父も、同じくギュミルという名です。どちらも海を指す言い換えでもあるため、二人が同一視されることがあります。
ただし『ロキの口論』第42節では、広間にエーギルがいるにもかかわらず、ロキがフレイに向かって「ギュミルの娘」という言い方をしています。同じ名の別人と読むほうが自然だとする見方もあり、決着していません。
Ægir(エーギル)
古ノルド語の表記。「迎え入れる者」に由来すると解される。
Gymir(ギュミル)
『ロキの口論』の冒頭で「別名ギュミルとも呼ばれる」と記される。
Hlér(フレール)
デンマークのレセー島の名に残るとされる呼び名。海を指す言い換えにも使われる。
エーギルの物語
外海の主 ─ ニョルズとの分担
北欧神話には、海に関わる存在が複数います。役割はきれいに分かれています。
ニョルズは、いわば港の神です。航海の安全、漁の実り、交易の富。人が海で行う営みのほうに関わります。
対してエーギルは、外海にいます。港の外、人の手の届かない場所です。同じ海でも、人が使う海と、人を拒む海に分けられています。
船に噛みついて壊すという言い方が残っており、詩には「エーギルのあぎと」という表現があります。難破そのものを、この巨人の口として言い表しています。
妻ラーンの名は「奪い取る者」と解されます。網を使って難破した人を海中へ引きこむとされ、夫婦で溺死を担っています。
九人の娘 ─ 波の乙女
エーギルとラーンのあいだには、九人の娘がいます。「波の乙女」と呼ばれます。
名はいずれも波のありさまを表す語で、うねり、逆巻き、砕けといった波の相が、そのまま娘たちの名になっています。
海の描写が、家族の形で語られていることになります。父が海、母が奪う網、娘たちが波。自然現象を家系図に置き換えたという点で、北欧神話でもっとも徹底した例です。
この九人は、番人ヘイムダルの「九人の母」と同じではないかとする説もあります。ヘイムダルは九人の母から生まれたと歌われており、その母たちを波の乙女と重ねる読みです。確かめられてはいません。
エーギルの宴 ─ 黄金が照らす広間
この巨人がもっともよく知られているのは、神々をもてなす主人としてです。
古エッダ?『ロキの口論』は、その宴の場面から始まります。神々が広間に集まり、酒がふるまわれます。
照明の描写が印象に残ります。
エーギルが広間に運び入れた黄金の輝きによって、明かりは要らなかった。
松明も灯りも使わず、黄金の光だけで宴を張る。 海の底に沈んだ財宝を持つ存在らしい描き方です。
給仕にはフィマフェングとエルディルという召使いがいました。ところがフィマフェングは、その働きぶりを神々に褒められたことでロキに殺されます。 宴はここから崩れ、ロキが神々の秘密を暴く展開へ進みます。
海の巨人が用意した席で、神話最大の口論が起こることになりました。
一族 ─ 火と風の兄弟
この巨人の家族関係は、自然の要素で組み立てられています。
父はフォルニョートとされます。『ヒュミルの歌』第2節でエーギルが「ミスコルブリンディの子にそっくりな岩の住人」と呼ばれており、このミスコルブリンディはフォルニョートの別名ではないかと考えられています。
兄弟は二人います。火を支配するロギと、風を支配するカー?リです。
海と火と風が、三人兄弟として並べられています。 世界を作る要素を血縁で語る発想は、他の神話にも見られますが、北欧では巨人の側に置かれている点が特徴です。
なお、ロキが巨人の国で大食いを競って敗れた相手が、この兄弟のロギです。名が似ているため混同されますが、別の存在です。
エーギルの家系図と家族
エーギルの性格と人物像
エーギルは、どちらの側にもいない存在です。
血筋は巨人です。それでも神々のために宴を開き、席を用意し、酒をふるまいます。そしてラグナロクでは、神々と戦う様子がありません。
敵の一族でありながら、最後まで敵にならなかった数少ない存在です。
ロキが同じ立場から神々を裏切ったことと並べると、この違いは際立ちます。ロキは内側に入りこんで壊し、エーギルは外側にいたまま迎え入れました。
もてなす者としての顔と、溺れさせる者としての顔は、矛盾していません。海はどちらもやります。 船を運び、船を沈める。人の都合に合わせません。
名が「迎え入れる者」であることは、そう考えると二重に読めます。宴に迎え入れ、海の底に迎え入れる。同じ言葉で、両方が言えてしまいます。
エーギルゆかりの地と遺跡
この巨人を祀った建物は見つかっていません。 巨人として語られる存在であり、社も祭りも伝わっていません。
別名フレールが、デンマークのレセー島の古い名に残るとされます。ただし、この地名がこの巨人に由来すると一次資料で確かめられたわけではないため、欄には挙げていません。
住まいとして語られるのは海そのもの、とくに外海です。特定の場所とは結びつけられていません。
エーギルが現代に残した痕跡
この巨人の名は、天文と鉱物の名づけ、そして海を指す古い言い回しに残っています。
土星の衛星エーギル: 土星の第36衛星。北欧群に属する不規則衛星で、2004年から2005年にかけての観測で発見され、2007年4月5日にこの巨人の名が与えられた。
エーギル輝石: ナトリウムと鉄を含む単斜輝石。日本語ではエジリン輝石と呼ばれ、エーギル輝石という呼び名も使われる。ノルウェーで見出された鉱物である。
「エーギルのあぎと」: 難破を指す詩の言い回し。船が海に噛み砕かれる情景を、この巨人の口として言い表したもの。
エーギルが司るもの
海
外海そのものを担う巨人とされる。
航海安全
船に噛みつく存在として恐れられ、その難を避けることが願われた。
客をもてなすこと
神々のために酒宴を催す主人として語られる。
エーギルについてよくある質問
エーギルは神ですか、巨人ですか。
所属は巨人族です。ただし神々のために酒宴を催すなど神々に近い立場にあり、ラグナロクでも神々と戦わないようです。
エーギルとニョルズはどう違いますか。
ニョルズは港と漁と交易に関わる神で、人の海での営みを受け持ちます。エーギルは外海におり、人に容赦しない自然の面を象徴します。
エーギルの家族は誰ですか。
妻は網で難破者を引きこむラーン、娘は九人いて「波の乙女」と呼ばれます。父はフォルニョートとされ、兄弟に火のロギと風のカーリがいます。
エーギルの宴とは何ですか。
古エッダ『ロキの口論』の舞台となった酒宴です。運び入れた黄金の輝きで明かりが要らなかったと語られ、この席でロキが神々の秘密を次々に暴きました。
エーギルと併せて覚えたい言葉・用語
ラグナロク(Ragnarök)
北欧神話の終末。神々と巨人が戦い、双方がほぼ全滅して世界が焼け落ち、海に沈む。そののち新しい大地が浮かび上がる。
古エッダ(こエッダ)
詩の形で伝わる北欧神話の歌謡集。13世紀の写本に収められたが、成立はさらに古い。作者は不明。
カー(kꜣ/生命力)
人と一緒に生まれ、死後も供物を受け取る生命力。クヌムがろくろで人を作るとき、肉体とカーの二体を同時に形作った。